椋梨一雪『古今犬著聞集』巻之五「娘を龍宮に送りし事」より

龍宮に行く娘

 近江の国の柳川に、新助という男がいた。
 このあたりは琵琶湖の岸辺で、エリという定置網を仕掛けて魚を獲る。新助の家が先祖代々エリを仕掛けてきた場所は、『龍宮に通じている』との言い伝えがあった。

 あるとき、新助は酒に酔ってエリのところへ行き、戯れに言った。
「うちのエリは龍宮へ通っているそうじゃないか。それがほんとなら、もっと魚を入れてもらいたい。よそのよく獲れるエリみたいにしてほしいぜ。願いを叶えてくれたら、そっちの用向きも、わしの力の及ぶ限りは聞こうというもんだ」
 その言葉のまだ終わらないうちに真っ黒な雲が巻き起こって、凄まじい豪雨となった。
 新助は這う這う逃げ帰ったが、雨の勢いはいや増して洪水となり、柳川じゅうの家々が浸水した。
 やっと雨がやんで水が引くと、新助の家には、鯉・鮒をはじめとして、あらゆる魚が幾千万とも知れず満ち満ちているではないか。
 思いがけない大儲けをした新助は、人々の羨望の的となった。まったく、不思議と言うもあまりある出来事である。

 ところが何日かたって、新助は二人いる娘を呼び、涙ながらにこう語った。
「おまえたちも知ってのとおり、その場限りの戯言から莫大な魚が獲れて、大喜びしたのはよかったが、このごろ夜毎に人が来て、『願いは叶えてやった。よって、娘を一人差し出せ。それがこちらの用向きだ』と迫るんだ。どんなに言い訳しても赦してくれない。『できないというなら、一家ことごとく湖水に引き入れる』と脅す。どうすりゃいい? おまえたち、どう思う?」
 姉のほうは、
「まあ恐ろしい。冗談じゃないわ」
と取り合わなかったが、妹はつくづくと耳を傾け、仕方がないと諾った。
「親のため、家族のためなら、いいように計らってください」

 親はほっとして、妹娘を龍宮にやる用意を始めた。
 すると早くも娘の姿は、髪がちりちりと縮み、眼が冷ややかに光を放ちはじめて、家の者にも恐ろしく思われた。
 約束の日限がきて、新助の一家はもちろんのこと、村の衆がおおぜい見送った。
 娘の乗り物を波の上に置き、おのおの暇乞いをするなか、乗り物はしばらく巴の形を描いて漂って、やがてふと波間に沈んで見えなくなった。

 以来、新助のエリにはおびただしい魚が入り続けたが、七年めの命日にあたる日、そこから龍が昇るのを、村じゅうの者が見た。
 翌日から新助のエリは、あまり魚が入らなかった以前の状態に戻った。
「さては、あの娘が龍になって天上したのだろうか」
と、人々は噂したのである。
あやしい古典文学 No.621