加藤曳尾庵『我衣』巻八より

木こりが暴れる豊前の山

 文化六年十月のはじめ、豊前小倉領の山奥で、大木の伐採に従事していた木こりに変事があった。

 伐採作業は大勢が働いて三十日ほども要するので、宿泊のための小屋を山中にしつらえて、五六人ずつ泊り込んでいた。
 その日、五人の木こりが連れ立って酒を飲みに山を下り、一人だけ後に残ったが、この者は日ごろ病気がちで、一人前の仕事が出来ない柔弱者だった。
 日の傾いた時分に五人が小屋に戻ると、留守番の男が声をかけた。
「おお、帰りを待ちかねた。今日、みんなが出かけて独り退屈していると、そこの軒先に、鳩くらいの大きさの鳥が来た。全身の羽が鮮やかな五色で、見事なものだった。そいつが軒先に止まったままいっこうに飛んでいかないので、手近の石を投げつけたら、狙いたがわず胸のあたりに当たって、転げ落ちて死んでしまった。そこで羽をむしって肉を煮て食ったのだが、もう旨いこと旨いこと。どんな鳥か知らないが、みんなにも食わせようと、少し残しておいた。さあ、遠慮はいらんぞ」
 五人の木こりが、
「見なれぬ鳥は食わぬものだという。俺たちはやめておこう」
と断ると、顔色が変わった。
「こんな旨いものを食わぬとは何事だ。どうでも食え」
 食わぬ、いや食え、と激しい口論に及んだが、日ごろの虚弱体質とうって変わって猛々しく立ち騒ぎ、五人に掴みかかろうとする勢いだ。みな驚き、
「よせ、落ちつけ」
と取り押さえようとした。ところが五人がかりの力でも及ばない。投げつけ、撥ねのけして、大いに狂いまわった。
 五人が怖気づいて小屋の外にのがれると、追いかけて飛び出してくる。とてもかなわぬ、逃げるしかない。一目散に山を駆け下った。
 激しく怒って罵り喚き、大木を捩じ切って振り回しながら追ってくるのを、必死の思いで振り切って、逃げおおせたと分かったときには日が暮れていた。

 麓の里では、その夜じゅう山鳴りが轟き、地が鳴動して、恐ろしさはたとえようもなかった。
 そのまま打ち捨ててはおけないので、領主へ訴え出た。
 もろもろの手続きをへて役人の指図を待つうち七八日が過ぎて、やっと検分に赴くこととなり、役人大勢、鉄砲を持った猟師七八人、五人の木こり、人足三十人ばかりで、山道を登っていった。
 中腹あたりまで来たとき、人間の腕、あるいは首・足など、あちこちに千切れ千切れになって多数転がっているのを見た。
 木こりたちには、その着けている衣服に見覚えがあった。おそらく、隣の山で働く木こりが異変を知らずに小屋を訪れ、凶暴化した男に襲われたのだろう。
 この光景の恐ろしさに、一同足がすくんで一歩も進めず、やむなく引き返した。

 どういうことか見当もつかない、じつに不思議な怪事だと、小倉領主小笠原侯の役人が物語ったそうである。
あやしい古典文学 No.623