堀麦水『三州奇談』一ノ巻「山代蜈蚣」より

山代の百足

 山代温泉は、大聖寺から一里半、ホウカの渡しで流れ一筋を隔てた向こうの山の麓にある。田野がのどかに広がり、竹林の村々を結ぶ道も平坦な里つづきである。
 湯は家々にとって座敷湯とし、家ごとに二三箇所ずつ上湯・下湯の浴み場をこしらえて、自由気ままに温泉にひたることができる。
 澄んだ湯で、香りも山中温泉より薄い。
 しかしながら、堀口何某の家にある三箇所の湯井では、湯が凄まじく湧き返っている。これを掛樋に流し、山水を混ぜて家々にとる。あたかも熊野の湯の峯のようだ。
 また、水に混じって湧く湯池がある。これは摂津有馬温泉の「妬(うわなり)井」のようだ。男女が影を映して親しく語らうと、不思議にも池の湯が激しく湧き立つのである。
 総じて、山代は山中より湯量が多いと思われる。

 この温泉地に、豆腐屋三郎右衛門という人がいる。蛇を遣う術を覚え、また蛇の防ぎ方の心得もあるので、他の家には蛇が多数棲みついているが、この人の家にはいない。
 三郎右衛門は私に、こんなことを語った。
「この上の山の奥、椎谷というところには野社があって、数十本の椎の木が森をなしています。そこは雌雄の大白蛇の棲み処でした。雄は身の丈六メートルあまり、雌は少し小さくて、五メートル半といったところでしょうか。久しく見慣れていたのですが、あるとき行くと、何があったのか、雄蛇が死んでおりました。今は雌だけ残っています」
 この話を聞いたのは、元文元年の頃かと思う。

 また、私の友人に夫由という人がいる。宝暦某年、この人が大聖寺藩の福嶋氏のもとで、怪物の骸を見たそうだ。
 それは大人の男の拳ほどの大きさで、黒漆を百回塗り重ねた獅子頭のようだった。
 何物か見当がつかないので尋ねると、福嶋氏は応えて言った。
「世に『百足(ムカデ)蛇を制す』と言いますな。あれは根拠があるのです。かつて山廻り役を仰せつかって、久しく山代の山に入っていましたが、そのとき聞いた里人の話によると、山奥に棲んで蛇を喰い、諸獣を従えていた身の丈七メートルの大百足を、村人がこぞって攻め、ついに打ち殺したそうです。その頭があるというので貰い受けたのが、これなのです」
 そう言われて手にとってよく見れば、なるほど百足に相違ない。その硬さは、まるで甲鉄だったという。

 大百足の山は、そんなに人里離れた場所ではない。にもかかわらずこんな怪物が棲んでいた。だとすると、『山海経』の怪物もまことであろうし、江州百足山の話も疑うべきでない。
 さては、椎谷の雄蛇も、この大百足に敗れたものか。
あやしい古典文学 No.626