堀麦水『三州奇談』三ノ巻「夜行逢怪」より

夜行して怪に逢う

 奥村家の侍 山下平太の下僕に、孫兵衛という腕力人に抜きん出た豪胆者がいた。
 孫兵衛は市中の祭礼などで争論を好んで傍若無人をはたらき、人々が彼の無頼を知って避け退くせいで、いっそう無法の振る舞いがつのった。主人は常々たしなめたが、いっこうに耳を貸さなかった。
 ある夜更け、この男が小立野天神坂を通ったとき、一陣の生臭い風が起こり、身の丈七尺ばかりの黒衣の大法師が忽然と現れた。
 不敵者の孫兵衛、咄嗟にそこらの小石を掴んで投げつける。法師は走り寄ってむずと組みつき、それより上になり下になりして取っ組み合った。
 しかし、法師は力がまさるうえに総身が鉄石のように硬く重い。孫兵衛はしだいに疲れ果て、なんとしようと思うけれども、あいにく腰刀も帯びていない。いよいよ形勢危うくなったとき、相手の喉とおぼしきところが少し柔らかなのに気づいて、したたかに喰いついた。
 喰われた法師が少し怯んだところを押さえ込み、
「曲者を捕らえたぞ」
と呼ばわろうにも、もはや声が出ない。そうこうするうち、法師は跳ね返して逃げ失せた。
 孫兵衛も失神した。あたりの人が起き出て水など飲ませてくれて、なんとか主家まで帰り着いたが、よほどの死闘だったと見え、全身血まみれなうえ、頭の毛が一筋もなかった。
 その後もずっと頭髪が生えなかったので、奉公をやめ、悪行をかたく慎み、鉢巻して門わたりして、今なお存命である。法師の妖怪に出逢ったのは、元文年間のことだという。

 また、宝暦二年九月十四日の夜、猪口平蔵という人が、長町今枝氏の下屋敷の外で、巨大な女の首に逢った。雨後の月が輝き、木の葉の露がきらめくなか、突如ぴかっと雷光震動して、大きさ六七尺の首だけが、にこにこ笑って行き過ぎた。
 矢嶋主馬という人は、岡田氏の屋敷前を通るとき、塀の上に六尺ほどの女の首がいるのを見た。よく見ようと提灯をともして立ち戻ったところ、もう消えていた。
 ある侍が夜行する女の大首と行き逢ったのは、堂形前だった。これも六尺ほどだったが雷光はともなわず、寂として顔色蒼白、行き違いざまに息を吐きかけ、侍はその痕が黄ばんで病みついた。不破玄澄という医者の療治で、益気湯を用いて治ったという。
 別の侍は、火光に包まれた首が足元に寄ってきたのを蹴飛ばしたところ、足が焼け爛れてひどく痛んだ。伽羅を焼いて付けるとよいと聞いて二三日そのようにすると、毒気が去って治ったそうだ。

 この種の怪事は諸国にも多い。一つの怪物が為すのか、別々のものの仕業かも定かでない。狐狸妖怪のほか、古い器物の情が化したとも考えられる。夜中に妖しく変化する鳥の存在を指摘する人もいる。
 まったく、森羅万象のありようは不可思議としか言いようがない。
あやしい古典文学 No.635