百井塘雨『笈埃随筆』巻之八「養老明神」より

狛狼

 但馬国の妙見山は、麓の観音寺村からだと坂道を十キロあまり、十八の僧坊を連ね、六月十八日を縁日として、隣国からの参詣者もおびただしい。よって、山に至る道が四方から通っている。
 山には古木の杉が数千本、小さいもので周囲ひと抱え、大きいのでは七八抱えもあって、まるで竹林のように群立している。まことに類を見ない青山といえよう。
 僧坊への来客は、庭前の茗荷を膳にあしらってもてなす。この茗荷がことのほか多く生える。
 山の背後を下った麓に、養老明神がある。
 この明神は狼を使いとしている。宮前に大石を彫って狼の雌雄を造り、鉄鎖でつないで左右に置いたさまは、諸社の狛犬に等しい。
 隣国の村々は、猪や鹿が田畑を荒らして難儀するとき、この明神に参って願を立て、「狼をお借りしたい」と頼む。神官が狼を繋いだ鎖を解き、村人が村へ帰ると、もはや猪・鹿が暴れることはない。その後また、供物と神酒を持って礼参するというのだが、じつに不思議な話である。

 狼といえば、ニ三年前の話で、こんなことがあったらしい。
 京都烏丸二条あたりに住む人が比叡山に登って、帰りの道を行くとき、犬の子が一匹出てきた。付いて来る犬の子に、連れの者が「来い来い」と呼んで弁当の残りなど与えたものだから、喜んでとうとう麓まで来てしまった。
 今さら追い払おうにも去らないので、仕方なく我が家まで連れ帰って飼うことにした。
 この子犬は外へ出ようとせず、だいたい庭でおとなしくしていた。たまたま外に出ると近所の犬が激しく吠え立てたが、さして恐れる様子はなかった。
 四五日の後、門前を過ぎる者が、
「ここの亭主は、たいそうな物好きだな」
と噂して行くのを耳にして、呼び戻してそのわけを問うと、
「おたくで飼っているのは狼の子ですぜ」
と言う。主人は大いに驚き恐れて、ただちに人を頼んで、もとの山へ捨てさせたそうだ。

 『静斎記事』には、次のようにある。
「数年来、狼の皮を布団にしている。よく体になじんで柔らかく、毛もラッコよりしなやかなほどだ。しかるに、生きた狼の遠吠えが聞こえるや、毛がスクスクと逆立って針のようになる。また、盗賊が入ったとき、同じく毛がスクスクと立ち、それが身を刺して目覚めた」
と。
あやしい古典文学 No.636