小川顕道『塵塚談』上より

奇怪の病

 品川宿三丁目、飴屋長次郎のせがれで十三歳になる市太郎が、正体不明の難病にかかった。
 医者たちは最初、風疾と診断して治療したが、そのうち両脚に腫物ができ、膿が流れ出るようになった。
 おびただしい膿水のせいで、布団は勿論のこと畳まで腐った。病床から毎日きのこが生え、それは荒和布(あらめ)の茎のように黒く、硬くて手では千切れなかった。
 市太郎はおよそ一年ほど患って、天明元年の夏に死んだ。
 死後、背中の肉が残らず剥がれ落ち、骨が剥き出しになった。とともに手足がばらばらに胴を離れ、膝も外れた。腹にだけ皮と肉が残っており、また、頭は離れなかった。

 以上の話を語ったのは、飴屋長次郎の隣家、加賀屋武右衛門の老妻である。
 この女は藤沢宿の大坂屋勘左衛門、俳名梅舎の娘だが、女にはまれな確かな気性で、根も葉もない噂話をするような者ではない。
あやしい古典文学 No.638