『大和怪異記』巻七「疱瘡にて子をうしなひ狂気せし事」より

疱瘡神 斬られる

 筑後の瀬高町に、彦七という町人がいた。妻に先立たれ、六歳になる男子が一人いた。
 その年、西国に疱瘡が大流行して、彦七の子も高熱を発し、疱瘡と定まった。
 同地はおおかた浄土真宗で、阿弥陀以外の神仏を尊崇することはなかったけれども、そこはわが子のかわいさ、彦七は『疱瘡神の棚』と名づけた神棚を病床の上に吊り、新しい衣服裃を着てさまざまの供物をそなえた。日に幾度も水垢離して、
「せがれの疱瘡が軽く済みますよう、ひたすらお頼み申します」
と、身を地に投げ、数珠の緒も切れるばかりに押し揉みつつ、心を込めて祈った。
 しかしながら、疱瘡は重くなる一方だ。そのうえ『水疱の出来ようが悪い』などと言う者もあったが、
「いやいや、まことに疱瘡の神というものがあるなら、わが一心の頼みを聞き届けてくれないはずがない」
とひたすら思い定め、看病を続けた。

 ついには、
「一面に出た水疱の色が、今にわかに変わりました」
と乳母が身悶えしながら叫んだ。彦七は寒中に水ひと桶を頭からかぶって神棚に向かい、
「この子をお助けにならぬなら、神ではない。神ならばお助けください。お守りください」
と頭を伏して祈るところに、子を抱いていた乳母が、
「ああっ、坊ちゃんは死になすった」
と泣き出す声。
 家じゅうどっと泣き叫ぶなかで、彦七は頭をもたげ、死んだ子を一目見て、傍らに置いた脇差をすらりと抜き放った。膝を立てて神棚を睨み、
「まことに疱瘡の神があるなら、たとえ人の命は定まったものでも、わが信心の誠を哀れんで、この疱瘡を無事に済ませて下さるべきに。物を知らぬやつめ、手なみのほどを見せてくれるわ」
 こう言って立ち上がるや、棚も注連縄も無茶苦茶に切り落とした。供物の折敷も土器も踏み砕き、大声をあげて狂い回ったあげく、布団をかぶって泣き伏した。

 この騒ぎのおり、向かいの家の女は炬燵に寄って外を眺めていた。
 彦七の家から大勢の泣き声が聞こえてきて、『さては、あの疱瘡の子が亡くなったのか』と胸を衝かれたとき、齢六十にあまる老婆がよろめき出るのを見た。老婆は白髪頭をさんざんに斬られた血まみれの姿で、隣の家に駆け込んだ。
 女はとっさの機転で、そばに寝ているわが子を掻き抱くと、夫にも言わず、素裸足で二里ばかりの道のりを急いで、在郷の伯母の家まで逃げた。
 息をきらせながら事情を語ると、伯母も、
「よくぞ逃げてきた。それでこの子の命が助かるかも」
と匿ってくれた。

 その晩から、斬られた老婆が走り込んだ家の二人の子が疱瘡を発し、潮の満ちるのさえ待たずに死んだ。さらに町内の七八人が疱瘡を病んで、ことごとく死んだ。
 逃げた女の子どもは、伯母の家で疱瘡に罹りはしたが、全身でわずか十ばかりの発疹ができただけで、普段どおり遊びながら治ったという。
あやしい古典文学 No.643