堀麦水『三州奇談』二ノ巻「土下狗龍」より

狗龍

 怪異の起こり来るゆえんは、結局のところわからない。それは、自分の体内に虫が生ずるのを、自分ではわからないのと同じことだ。
 怪は人を離れてはありえない。それゆえ、市中にもまた怪が存在する。

 金沢川南町の額谷屋というところで、宝暦二年の早春、怪しい出来事があった。
 家の雨戸を閉めて寝たはずなのに、夜が明けるといつも戸が開いて、灯火が吹き消されていた。当初は誰のしくじりかと言い合ったが、やがて目ざとい人が、
「怪物が戸を開けて入ってくるのだ」
と結論づけた。
 女子供はたいそう驚いて、その日のうちに向かいの家に避難した。あとには男ばかり、近隣の壮年の者も加えて家を守り、
「小雨も降るし、月もおぼろだ。こんな夜こそ化物が出るぞ」
と待ったが、その夜は来なかった。
 この家の周囲の一方は川の流れに面し、昔からの番人がいて、その者が言うことには、
「だいぶ前から、夜更けに唄をうたう小坊主がいる。あいつだろう」
と。さらに、たまたま見た人もいて、
「たしかに人のごとく立って歩くものが、厳重な戸締りを苦もなく開けて中に入り、行灯を吹き消した。その後はどうしたのか、わからない」
と証言した。

 二月十五日の夜、通り雨がさっと降りつけて月の翳ったとき、怪物が現れた。
 しかし人の気配に驚いたか、引き返して傍らの土蔵に逃げ込んだ。土蔵の側面から、分厚い土壁に穴を穿って入ったのだが、さして難渋したようには見えなかった。
 待ち構えていた人々は、
「それ、土蔵に籠もったぞ」
と取り囲み、鎌やら棒やら振りかざして狩り立てる。たまらず蔵の大戸から、疾風のごとく飛び出した。
 宙を翔ける怪物を、斎藤金平という人が刃引の刀でもって一撃のもとに叩き落した。
 仰向けに落ちたが、起き直って縁の下へ這い込む。それを大勢が探し出して、槍でさんざんに突き伏せ、斧で殴って頭を潰すと、大量の血を吐いて死んだ。
 この断末魔にも、そいつはまったく声を発しなかった。見れば、槍で突いた箇所が、一つとして突き通っていなかった。斧の跡も、皮には少しの傷さえつかず、身内の骨が砕けて死んでいた。おそろしく頑丈な皮である。
 全体の姿は犬に似て、足がはなはだ短く、頭を頂点にした三角の体型、毛は灰色な獣であった。

 いったい何ものかと、人々が言い合っているとき、大坂から来た人が、こんな話をした。
「大坂の鍛治町でも、この獣が出た事件があった。
 ある家の婆が行方知れずになって、気がかりなまま数ヶ月がたったある日、亭主が夕暮れの縁側に座っていると、縁の一方の端がずぶずぶと土中に沈みこんだ。こりゃおかしいと、縁を取り払って見ると、土中に穴がある。だいぶ深くて、底の方が広いらしい。人を集めて掘り開くと、四尺ばかり下に水の湧くところがあって、傍らに行方不明の婆の喰い殺された屍が、引きずり込まれてあった。
 さらに横に穴が続いていて、その中に怪しいものがいるらしい。だが、そこまでは人々も入ることができない。ついに町役人に委細をことわった上、横穴の口に尖った木や竹を押し込み、突っ込んで塞いだ。そして穴の位置の見当をつけて、二軒隣の鍛冶屋の庭から掘り下げていったら、見事この獣に掘り当たった。穴に突っ込まれた棒で、半ば死んでいたんだ。そいつはこれほど大きくなかったが、それでも婆を殺した。こいつもこの先、何をしでかすか知れなかった。よくぞ打ち殺したものだよ」

 この獣は、狸にも似ていた。どうやら声はないらしい。
 ある人が「シタヌキというものだ」と言ったとかいうが、ただの野辺の生き物とは見えない。普通に縁の下・土中に棲むようにも見えない。まあ、おおむね「土豹(うごろもち)にして狗」といった感じだ。
 さる好事家によれば、「狗龍というもので、その幼生を謝豹虫という」のだそうだ。どの説が本当なんだろう。謝豹虫は日に当たると死ぬと聞いたが、成長すると丈夫になって死なないのだろうか。あるいは別物のことなのか。どうも納得できない。
 ともかく、人家の集まる都会といえど、怪物がいないということはない。地鼠・土豹・大鼠などは、日に当たると変化すると聞く。これらの類かもしれない。
あやしい古典文学 No.644