松浦静山『甲子夜話』続編巻之九十三より

必殺! 念仏責め

 『当時随筆珍事録』という書物に、徳本行者の念仏が挙げられている。その末尾の一節。



 世に行われる徳本流の念仏行を見るに、たいそう巨大な木魚と伏鉦(ふせがね)を置いて、集まった信者が乱調に打ち叩き、異口同音に声を張り上げて念仏を唱えている。
 さて、ここに一人の老婆が病に伏し、もはや死に瀕していた。
 この老婆は平素から徳本を信じ、常に念仏行を怠らなかった。それゆえ仲間が相集まり、老婆が臨終にあたって極楽往生を願えるようにと、病床近くに群がって、例の木魚と鉦を打ち鳴らし、声を合わせて念仏した。
 病人も初めのころは一緒に念仏していた。しかし、あまりに大勢が木魚と鉦を乱奏し、声を限りに念仏するものだから、その喧しさは市場の商人が呼び売りを競うに等しい。
 老婆は手を挙げて制したが、人々は勢いに乗じていよいよ声高に念仏し、力任せに木魚と鉦を鳴らしてやまない。ついに喧騒に堪えられず、
「ああ、念仏はもう厭だ。おお、木魚と鉦がうるさいよ。この死に際に阿弥陀様を念じて、安らかに往生したいのに、念仏がわたしを責め殺す。はやくみんなを追っ払って、木魚と鉦をやめとくれ。とても尊い念仏と思ってきたが、あいそも何も尽き果てた。頭がのぼせる、目が眩む。もうだめだ。気が狂って死んでしまう」
 声を放って泣き叫び、老婆はついに息絶えたという。



 この様子は、まったく徳本行者の本意ではない。しかし、末世に釈迦仏の法を守る者は、一般に似たような状況にあると思うが、どうだろう。
あやしい古典文学 No.650