井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻五「身を捨て油壺」より

姥が火

 独り身で暮らすほど、この世で悲しいことはない。河内の国の平岡の里に、そんな身の上の女がいた。
 もとは由緒ある人の娘で、容貌も人にまさり、「山家の花」と土地の小唄に歌われたほどだったが、なんの因果だろうか、夫婦となった男が十一人まで、次々とあっけなく死に失せた。
 こうなると、はじめは女の美貌に恋い焦がれた村人も恐れをなして、言葉も交わさない。女は十八の冬から後家をたて、八十八歳まで生きてきた。
 長生きというのは情けないものだ。
 往年の美しさの面影なく、白髪頭の見るも恐ろしげな姿となっても、死ぬに死なれぬ命だから、木綿の糸を紡いで乏しい暮らしを立てていた。
 夜なべに松火では暗くてよく見えず、かといって灯し油を買う余裕もないので、夜が更けてから平岡明神の灯明の油を盗むようになった。

 神社では神主が集まり、
「毎夜毎夜、不思議なことに御灯明が消えてしまう。油がなくなるのは、どんな犬や獣の仕業だろうか。おそれ多くも当社の御灯明は、河内一国を照らされるものなのに、この有様では、神主の怠慢と言われても仕方がない。ぜひとも今夜、正体を暴いてやろう」
と相談した。
 弓・長刀をひらめかした思い思いのいでたちで、こっそり本殿に入って様子を窺っていると、世間の人が寝静まって夜半の鐘が鳴る時分、恐ろしい山姥が神前に上がってきた。
 皆おおかた気を失うほど驚いたが、中に弓の名人がいて、雁股(かりまた)の矢をつがえて狙いすまして放つと、みごと姥の細首を射落とした。
 首はそのまま火を吹いて虚空に翔け去り、胴はというと、夜が明けてからよくよく見るに、この里でなにかと噂の姥のものだった。
 そのことを知っても、一人として可哀想だという者がなかった。

 ところが、それ以来、火を吹く姥の首が夜な夜な現れて、往来の人を卒倒させた。姥の火に肩を越されて、三年と生き延びた者はいないのだった。
 今では三里、五里と離れた野にも出現する。一里離れたところから飛んで来るのに、わき見をする間もないほどの速さだ。
 近くまで来たとき、阿毘羅吽剣(あびらうんけん)ならぬ「油さし」と呪文を唱えると、たちまち消えてしまうというのだから、奇妙な話ではないか。
あやしい古典文学 No.652