HOME | 古典 MENU |
『奇異雑談集』巻二「獅子谷にて、鬼子を産し事」より |
獅子谷の鬼子 |
京都の東山 獅子谷の里で、明応七年ごろ、土地の者の妻が奇異なるものを産むこと、三度に及んだ。 最初の出産では、通常の男子を産んだ。これが嫡子である。 二度目の出産で、異形のものを産んだ。ただし如何なるものだったか、さだかでない。 三度目の出産では、ツチノコを産んだ。目・鼻・口のないもので、これはすぐに殺してしまった。 四度目の出産で、鬼子を産んだ。 生まれ落ちたとき既に三歳児の大きさで、元気にあたりを走り歩いた。 父親が追いかけて捕らえ、膝の下に押さえつけて見ると、全身が朱のごとく赤く、両目のほかに額にも目があった。耳までおよぶ大口で、上下に歯が二つずつ生えていた。 父親は嫡子を呼んだ。 「おい、横槌を持って来い」 鬼子は父親に手に噛みついたが、槌でもって繰り返し殴打して、叩き殺した。 その後は、大勢の人が入れかわり立ちかわり見物にやって来た。 鬼子の死骸は、西大路 真如堂の南の山ぎわ、岸ノ下に深く埋めた。 翌日、農夫が三人、おのおの担い棒をかついで道を行くと、岸ノ下の土がむくむく蠢いている。モグラだと思って棒の先で突いたら、鬼子が現れた。 三人は大いに驚いて、 「これは噂に聞く獅子谷の鬼子だぞ。早々に打ち殺せ」 と棒をふるった。しかし容易なことでは死なない。激しく打ちのめして、ついに殺した。 縄をつけて京の町まで引きずっていったが、途中で多くの石に当たっても、皮膚が頑強で少しも破れない。 これを見た京中の人は、寄ってたかって死骸をさんざん打ちひしぎ、ぼろぼろにして捨てたのだった。 このこと、常楽寺の栖安軒琳公が、まだ喝食(かっしき)のころに岸ノ下で打ち殺すのをまのあたりに見た、と話したとか。 |
あやしい古典文学 No.656 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |