佐々木貞高『閑窓瑣談』巻之四「山伏怪異」より

山伏の怪

 『千茅草』という随筆は、桂秀樹とかいう人の著作で、正直に記して作為は加えていないように見受けられる。書の末尾に延享四年五月とあるから、天保十二年の今年から数えて九十六年前の著述である。
 その巻中に一怪事が記されているが、これもまた実事らしく思われるので、写し書きしておく。



 土佐の国の赤岡というところに、安田源三郎という大商人がいた。これは『千茅草』の著者桂氏の算学の門人である。
 この源三郎の家では、数代以前より、何か吉事や凶事の起こるに先立って、かまどの後ろから身の丈高く顔色恐ろしい山伏が忽然と現れ、家の内を睨みまわす。人々が驚いて「あれまぁ」と慌てふためく間に、消え失せるのだという。
 四五代前から出るようになったと聞き伝えているが、最初は何年前の何時なのか、はっきりしたことはわからない。

 さて、あるとき源三郎の老母が煩いついて、十四五日も食物が喉を通らない大病となった。むろん、起き伏しもままならない。
 ところが、夜の付き添いをつとめた者のあいだで、奇妙なことが囁かれるようになった。『看病に疲れてついうとうとしていると、老母は身体健やかな者のごとく床から起き上がり、四方に眼を配って恐ろしい顔色となる』というのだ。
 源三郎の父 源太夫は、ただごとでないと思い、自ら添い寝して真相を見極めようとした。
 その夜中、「また例の山伏が……」と家人の騒ぐ声が台所のほうから聞こえ、源太夫は思わず次の間まで出た。その僅かの隙に、老母は失踪した。
 源太夫、源三郎はもとより、家内の者総出で探し回ったが、行方は杳として知れない。
 ほど近い海岸に、老母の夜着と常に手にしていた数珠が捨ててあったので、入水したのだろうと推測し、その日を命日として仏事を行うこととした。
 なお、老母は門のかんぬきを二つにへし折って出て行ったらしい。そもそも如何なる怪異か、理解しがたい。

 この出来事の後、かまどに山伏が出ることは絶えたと、源三郎がじかに桂氏に語ったそうだ。
 なんとも気味悪い怪談である。
あやしい古典文学 No.663