平秩東作『怪談老の杖』巻之四「厩橋の百物語」より

厩橋の百物語

 延享の初めごろの話である。

 上州厩橋の城内で、若い侍たちが宿直していた。おりしも激しい風雨に包まれて物凄い夜だったので、みな一つところに寄り集まって、お定まりの怪談話となった。
 その中で先輩格の中原忠太夫は、たいそう肝の据わった人であったが、
「世に化け物はあるとも言い、ないとも言う。どちらなのか本当のところが分からない。こんな気味の悪い夜だから、妖怪が現れるという百物語をして、化け物が出るか出ないか、試してみよう」
と提案した。
 血気盛んな若侍たちは、
「それは面白い。さっそく始めよう」
と一決して、五間も奥の大書院に、青い紙を張った行灯を置き、灯心を百筋入れて、かたわらに鏡一面を立てた。
「一話話し終わったらここへ来て、灯心を一本消し、鏡をとって我が顔を見てから戻ること。途中の間には灯火をおかず、暗がりとする」
 百物語のかたどおり作法進退を決めると、言い出した忠太夫から始めて、おのおのが短い怪談を語りまわし、夜中の二時の時を告げるころには、はや八十二番めの話が済んだ。

 何の異変も起こらないまま、八十三番めは忠太夫で、『ある山寺の小姓と僧が密通して、二人とも鬼になった』というありきたりの話をし、
「では灯を消して来られよ」
と促されて座を立った。
 襖をあけて一間また一間と過ぎ、行灯のある広間へ出ようと襖をあけたところで振り返ると、右のほうの壁に何か白いものが見える。
 近づくと、着物の裾が手に触れた。怪しく思ってよくよく見ると、女の死骸が、首をくくった形で天井から下がっていた。
 もとより豪胆な人だったので、『これが妖怪というものか。世間で化け物の話をするのは、こんなのが実際に出るからだな』と納得し、落ち着き払って広間へ行くと、灯火を一筋消した。立ち戻るときに見ても、白いものはそのままあった。
 忠太夫は黙って座に着き、後の順番の侍が次々に灯を消しに行ったが、いずれも妖怪のことを言い出さない。『さては、他の者の目には見えないのか。いや、見えても、我のごとく黙っているのか』。そこのところが気がかりで、
「さあ、話を急いでお終いにしよう」
と、ごく短い話ばかりにして、百の数に至った。
 そのとき、筧甚五左衛門という人が、いかにも気分がすぐれない様子の青ざめた顔をあげて、皆に問いかけた。
「さて、話はこれで終わったが、何ぞ怪しいことを見た者はいないか」
「甚五左衛門、おぬしは見たのか」
「うむ。じつは先ほど見たが、黙っていた。おのおの方はどうだ」
 忠太夫が、
「わしは八十三番めの時に見た」
と言うと、皆一斉に口を開いた。
「女の首くくりか!」

 皆に妖怪が見えたとわかった以上は、こうして話をしているより、一同の目で確かめるのがよかろうということになり、行灯を提げて行って見ると、歳のころは十八九の女が白無垢を着て、白縮緬のしごきを締め、散らし髪で首を吊っていた。
「どんなにして縊れているんだろう。天井から下がっているから、よく見えない。抱き下ろそうか」
「待て待て、無用のことだ。それより前後の襖を閉め、この化け物がどう仕舞いをつけるか見届けよう」
 そこで一同は首くくりの傍らに座を構えて見物したが、はや東の空も白み、夜がほのぼのと明けてきても、化け物は消えもせず、まったく最初のままである。
「これでは片付かない。どうしようか」
 困って、奥がかりの役人を呼んで見せたところ、島川という中老の女だと言う。折節は殿の御用を務めると噂されるほどの人だったので、大いに驚いて、皆でうち寄り相談した。
「このこと、今は口外すべからず。ここは女中の来るところではないから、きっと妖怪に違いない。大騒ぎして粗忽者の汚名をこうむるのはいかがなものか」
 奥家老下田某は、まず奥へ赴いた。
「島川どのにお会いしたい」
と告げると、昨夜より体調が悪いため会えないとのこと。これは怪しいと思い、重ねて申し入れた。
「ぜひお目にかからねばならぬ急用がある」
 島川は仕方なく出てきた。なるほど実に具合が悪そうだ。しかしながら命に別状はないわけで、下田某はとりあえず安堵し、あとは適当にごまかして退出した。
 その足でまた現場へ戻ったところ、かの首くくりは消えて、もはや跡形もなかった。見張りにつけておいた者たちも、いつ消えたか分からないと言う。
「やはり妖怪で間違いなかった。しかし、差し障りのあることだから、ここだけの話にしよう。決して人には語るまい」
 一同、堅く約して別れたのだった。

 後に中老島川は、仔細あって人に遺恨を抱き、ついには自分の部屋で首を吊って死んだ。百物語の夜の怪事は、その前兆だったのだろう。
 人の言い伝えるとおり、妖気の集まるところに怪異が現れたわけだ。
 忠太夫は後年、藩を出て剣術の師範をしていた。そのころに語った話である。
あやしい古典文学 No.665