『金玉ねぢぶくさ』巻之五「血達磨の事」より

細川の血ダルマ

 「智」「仁」「勇」「忠」は、武士の護るべきかなめである。
 「勇」には大勇と小勇があり、「忠」には真心のものと形だけのものがある。ここぞというところを判断して死すべき時に死に、恥をしのんで逃れるべき時には逃れる、これこそが大勇であり、心からの忠義なのだ。
 人に恥辱を受けるのを厭うて命を軽んじたり、おのれの強さに驕って弱い者を見下すのは、ただの血気の勇である。真心を捨てて体裁を守り、仁愛を忘れて勇を誇るのは、智者のなすところではない。
 そうはいっても、武士は武威を世に示すことで人を制し、乱を鎮め、国家を治めるのが仕事だから、長剣を携えて武張った顔をしなければならない。これは出家が、その役割として僧衣を着るのと同じことだ。
 この道理が分からず、命を軽んじ、死を恐れず、ささいな義理で人と果し合いに及ぶ。受けた禄に報ずるべき身を私事で失い、主君の御用に立たないのは、黄金を土に替えるに等しい愚行と言えよう。



 さて、細川家が幽斎公の時代、ある浪人の兄弟が仕官を求めてきた。
 ともに器量すぐれた者と見受けられたので、御前に呼び出し、
「なんじら二人、武芸はどのようなことができるか」
と尋ねると、
「何であれ、事に臨んで他人ができないことをして、御用に立ってみせましょう」
 幽斎は、きっぱりと応える二人の風貌の力強さを見て頼もしく思い、兄を四百石、弟は三百石で召し抱えた。

 その後、江戸に大火事があって、細川の上屋敷にも火の手が及んだ。かの『むさしあぶみ』に描かれているように大風激しく、猛火は煙を巻いて、とても防ぎ止められない。
 大切な諸道具はことごとく持ち出したはずが、どうした失態か、ことのほか秘蔵されている達磨の絵の掛軸を、御殿の床に掛かったまま取り忘れた。
 幽斎はたいそう惜しんで、機嫌が悪いことこの上ない。近習の面々は気が気でなく、
「まだ御殿は焼けていないはず。かねてより『人のできない御用をし遂げます』と申しておった新参者二人に命じて、一刻も早く取りに遣られてはいかがかと存じます」
などと申し上げた。
 幽斎は確かにそうだと思って、かの兄弟を呼んだ。
「もう一度屋敷へ戻り、もしまだ火が回っていなかったら、達磨の掛軸を取ってまいれ。御殿が燃えているようなら、無理せず早々に戻ってこい」
 命を受けた二人が息を切らして駆けつけると、今まさに御殿に燃え移らんとするところ。
 後ろの門を乗り越えて、炎と煙の中をくぐり、ようやく御殿へ入ってみると、屋根は一面猛火に包まれながらも、いまだ下には火の手がない。達磨の絵は無事に床に掛かっている。
 だが、急いで外してくるくると巻き、羽織に包んで出ようとしたときはもう遅かった。十方を炎に塞がれて逃れるすべなく、ついに二人は焼け死んだ。

 火が鎮まって後、灰を取り除けて見つけた兄弟の死骸は、驚くべきものだった。
 兄が弟を手にかけて首を討ち、咽喉を切り開けて内臓を引き出してから、羽織に包んだ掛軸を体内に押し込んでいた。さらに兄は、自分の腹を十文字に切って開き、弟の死骸をわが腹に押し込んで、抱きかかえるようにして死んでいた。
 掛軸を引き出してみると、よくよく羽織に包んでいたので、絵には血糊の一滴もなかったが、左右上下の縁が少しずつ血に染まっていた。
  『まことに二人の潔いはたらきは、武士の鑑(かがみ)となるべきものだ』。幽斎はことのほか感銘し、兄弟の死を絵よりも深く惜しんで、血の染みた掛軸をわざと修復せず、兄弟それぞれが裃(かみしも)を着てこの絵を守護するさまを新たに描かせて、合わせて三幅一対の掛軸とした。
 これは「細川の血だるま」として御家の宝物となり、今なお秘蔵されているとのことだ。



 戦場で先陣を切って死を争うのは、武士として当然のことであろう。
 しかしながら、一刻をあらそう猛火の中で絵を救った兄弟のはたらきは、「智」あり「忠」あり「勇」ありで、栄陽城降伏の際に主君高祖を逃がして項王に焼き殺された漢の紀信も、なかなかに及ばない。
あやしい古典文学 No.667