松浦静山『甲子夜話』巻之四より

生きていた秀頼

 大坂城落城のおり、豊臣秀頼はひそかに脱出し、薩摩に逃れたとの説がある。
 このことは国外にも聞こえたと見えて、明の朱国禎の書に「秀頼ノ兵ハ敗走シテ和泉ニ入リ、城ヲ焚テ死ス。マタ薩摩ニ入ルト言フ者アリ』などとある。「和泉ニ入ル」は著者の聞き違いだろう。

 そういえば、こんな話を何かで読んだ。
 落城のとき、家康公は天守に火がかかったのを見て号令した。
「よし、陣を立とう」
 左右の者は、
「いまだ秀頼の生死が知れません」
と言上したが、
「天守に火がかかれば落城である」
との言葉で、ただちに陣立ちとなったとか。

 また、ある人の話。
 秀頼は薩摩に行って後、大酒を飲んで、いたるところで面倒を起こした。
 酒の負債も多額に及んだと。

 ちなみに現在、高崎公の居間には、秀頼の手になるという襖絵がある。
 金地に老松を描き、その上全体に簾を描いて、簾越しに見た風情となっている。
 もっともこれは秀頼作ではなく、筆致からして狩野雅楽助、狩野山楽などと見受けられる。
あやしい古典文学 No.670