阿部重保『実々奇談』巻之十二「死人の口より蛇出でし事」より

水死の真相

 寛政八年か九年ごろ、和田菊右衛門という房州生まれの者が江戸に来て、足軽奉公などをして諸家を渡り歩いていた。その者の話したことである。

 ある年の六月末、ことのほか暑い日だった。
 いまだ国元にあった菊右衛門は、三四人の朋輩と近くの大川で泳いでいたが、水から上がってふと、一人の姿がないのに気づいた。
 どうしたのかとあちこち見回して探すうち、川の向こう岸辺りに浮き上がった。『なんと泳ぎの巧みなことよ』と思って眺めていると、そのまま流されていくようだ。
 『さては溺れたか』。泳いで追いついて見るに、すでに顔に死相があった。
 急ぎ岸辺に運んで引き上げ、『泳ぎのさなかに足がつったのかもしれん』と、水を吐かせ胸をさするなどして介抱したが、もはや手遅れらしく蘇る気配がない。
 しかたがないので、友人が集まって弔いの手はずを相談し、一人が菩提寺へ走って葬儀を頼んだ。死んだ男は独り者で、身寄りもなかったから、友人の手ですべて行うことになったのである。
 死骸を棺桶に収め、荒縄でしっかりと締め括り、棒を通して二人で担いで、日暮れ時に寺へ送り届けた。

 葬儀の時刻には日もまったく暮れ、本堂の灯明が少しばかりの供物・香華を明々と照らしていた。
 施主である友人四五人が控えていると、ほどなく住職と弟子僧が来て、経文を唱え、仏事を進めた。
 いよいよ引導を渡そうという矢先のことだ。
 棺桶の縄がびしびしと切れる音がする。住職はじめ誰もが目を見張ったところに、ぶつりと音がして荒縄が断ち切れ、棺桶の死人がすっくと立ち上がった。
 一同、あっ! と驚いたとき、死人の口から大きな蛇が躍り出た。
 腰を抜かしている人々を尻目に、二尺あまりもある黒蛇はそのままのたくり回り、やがて本堂の庭の暗がりへ這いこんだ。

 その後、死人には何事もなかったので、あらためて引導を渡して葬儀を終えたという。
「これはまったく、泳いでいるときに蛇が肛門から這い込んだのに違いありません」
 菊右衛門は、そう語った。
あやしい古典文学 No.674