森春樹『蓬生談』巻之二「天狗と成りて後友の士に逢ふ事」より

旧友再会

 江戸の人が話したことだ。

 中国地方の某国の藩で、家中の若い侍がふと失踪して、それきりになるということがあった。
 それから二十年ほど後、江戸の町で同じ藩の侍が偶然、その失踪者を見かけた。茶宇縞の袴に黒縮緬の羽織で大小を手挟み、下僕は連れていなかった。
 二人は同年齢で、かつては親しい友であったから、すぐに歩み寄って、
「おお、行方知れずになった何某ではないか。まさか拙者を見忘れはすまい」
と声をかけると、
「いかにも。久しく逢わなかった。変わりはないか」
などと応えて、ひと通りの挨拶を交わしつつ再会を喜び合った。
「さて、今日はどこぞへ用事で行くのか。もしよければ、久々に料理屋にでも立ち寄って、ゆっくり語ろう」
「それはよい。そうしよう」

 連れ立って店に上がり、失踪した男に、
「今は、どこの家中に勤めているのだ」
と尋ねたところ、相手は思いがけないことを言った。
「じつは、我はもはや人間界を去り、天狗の仲間になっている。今日は私用で行く道でその方に出逢い、久しぶりに人間と交わる次第だ」
 そうしてさまざまに物語ったが、
「天狗の仲間なら、ちょっとうまい話も計らえるだろう。友達のよしみで教えてくれよ」
と頼むと、
「いや、そのことだ。我は家のことも主君のことも忘れはしないが、残念ながら今の身では、人間界を思って何事か取りはからうことが、いっさい出来ないのだ。しかし、いずれそのうち、主君のため、またそのほかのことも計らえる折があるだろう」
 二人は酒を酌み交わし、天狗になった男は卵飯を注文して、立て続けに三四十杯食った。
「おぬし、そんなに食って大丈夫か」
「もっと食っても平気だ。だが食わなくてもよいから、もう止めておく。いつのまにか時を過ごした。これでお別れしよう。機会があればまたお目にかかりたい」
 天狗男はこう言って、料理屋の窓の手すりから、風のように何処へともなく飛び失せた。
あやしい古典文学 No.682