森春樹『蓬生談』巻之二「人間狐の媒せし事」より

人が狐の媒酌を

 天保元年春のこと、豆田町の西の近郷で、百姓の娘に狐が憑いた。

 狐を落とそうとあれこれ責め問うに、狐が言うことには、
「わたしはもとは上方の女狐ですが、故郷に居辛いわけがあって夫婦で放浪して、この地の鬼塚に棲もうとしました。でも、縄張りを持っている狐が置いてくれません。豆田の城山へも行ってみましたが、ここも駄目でした。ほかを探そうと夫婦連れだって祇園社の後ろの板橋を渡っていくとき、夫は橋板の壊れに足を突っ込んで抜けなくなり、苦しむところを子供衆に見つかって、終に殺されました。わたしはなんとか逃げて助かったとはいえ、棲み処がなく食うものにも事欠き、しかたなくこの娘さんに憑いたのです」
 人々が、
「この日田にも、男やもめの狐がいるだろう。そいつの女房になったらよいではないか」
と言うと、
「わたしみたいなみっともない女は、みんな嫌うんです」
と返事した。
「おまえたちにも、器量の良し悪しがあるのか」
「ありますとも」
「どんなのが不器量なんだ」
「顔に白い毛が混じっていると、ブサイクだといってイヤがられますね」

 人々は相談して、大超寺の和尚に頼んで寺の狐と娶わせたらどうかという話になり、寺へ出かけた。
 大超寺の藪に穴があって、そこに狐が棲んでいるが、毎日和尚が握り飯を作って与えており、親狐と子狐の二匹が出てそれを咥えていく。出てこないときは手をたたくと必ず出てくるという。この親狐には女房がいたが先ごろ死んで、今は男親と子の二匹だから、その女房にしてくれと和尚に依頼したのである。
「なあ女狐。おまえのことはよくよく頼んでおいたから、行ってみろ」
「きっと相手が承知しませんから」
「あれほど頼んだんだ。たとえ女房にはしなくても、一緒に棲むくらいはするだろう。行け」
 強いられて狐はしぶしぶ離れたが、翌晩にはまた娘に憑いた。怒ってわけを問うと、
「やっぱり嫌われましたよ。女房にしてくれないのに、一緒に棲むわけないじゃありませんか」
 今にも泣きそうな様子なので、また大超寺へ行って、和尚に事情を述べた。
 和尚は男狐を呼び出して叱責した。
「なんて聞き分けのないやつだ。女房にしないならそれも仕方ないが、一緒に棲むのばかりは許してやれ」
 狐は恐れ入ったふうで、すごすごと帰った。

 娘に憑いた女狐は、
「今度こそ大丈夫だから、とにかく行け」
と追われて行ったまま、再び戻らなかった。
 寺では翌朝より、狐が三匹連れ立って出てくるようになった。
 よく見ると、なるほど新しく加わった狐は、口の左右上下と眼の上下などに白い毛があった。
 これは、人が狐の媒酌をした話である。
あやしい古典文学 No.688