森春樹『蓬生談』巻之四「豊前田河郡帆柱山大蛇の事」より

あぶない草庵

 豊前の企矩郡か田河郡にある帆柱山は、英彦山の山伏の修行地で、僧坊などもある。高山で、山頂には大蛇が棲むと言い伝えている。
 帆柱山の西は筑前の加摩郡黒崎で、その境界の黒崎側に、ひとつの草庵があった。
 そこの庵主となった僧は、久しく住むことができず、皆まもなく姿をくらましてしまう。『なぜに坊主が逃げるのか?』 麓の村では困惑しながら、また新たに僧を招いて庵に住まわせた。

 今度の庵主が夜、床に就いて、まだ寝入らないでいるときのことだ。
 何ものかが、屋根の草葺きを上から掻き分け、押し分けている。天井を張ってない小庵だから、屋根の掻き分けたところから空の星がキラキラ見える。
 その時にわかに恐ろしくなって、そっと布団の裾から抜け出て、物入れの襖を開き、中に隠れた。
 隙間から様子を窺っていると、屋根から大蛇の頭が下がって、だんだん伸びて布団の中に頭を入れた。しばらくしてまた少しずつ縮まり、屋根の上に引っ込むと、そこでしばし時を置き、やがて裏の竹林の中へ帰っていくらしかった。

 庵主は隠れ場所からそっと出て、提灯をつけると、麓の村まで飛ぶがごとく駆け下りた。
 人家を叩き起こして事の次第を語ると、その家のあるじは、
「そうか。これまで坊主が逃げたとばかり思っていたが、そうじゃなくて、みんな寝ているところを大蛇に呑まれたんだ。そういえば、逃げたにしては坊主の衣やら何やらがそのまま残っていたな。だが、誰も大蛇とは気がつかなかったよ」
と言って驚いた。

 草庵は、その時かぎりで解かれたそうだ。
 なお、庵主が星と思ったのは星ではなくて、蛇の頭に下の方燈の明りが映ってキラキラしたのである。
あやしい古典文学 No.689