森春樹『蓬生談』巻之四「山猫の事」より

山猫

 山猫と呼ばれる獣は、今も随分いるようだ。
 先年、日向の高千穂から持ってきたという山猫の皮を見た。頭から尻まで一メートル半、尾先までだと二メートル以上、毛色は地が白くて薄墨の斑があり、大鹿の皮のような印象だった。
 その後、玖珠郡の万年山の東の谷で猟師が見た山猫の話を聞いたが、その大きさといい斑紋といい、この皮と同じだったそうだ。「恐ろしくて撃てなかった」と猟師は言っていた。
 また、わが郡の中嶋村でのこと。
 村の背後の「あぜくら」というさして高くも深くもない山の麓で、ある晩、激しく闘う声がした。よく聞くと猫の喧嘩のようだが、その声の大きさが尋常でない。
 翌朝行ってみると、あたり一面の草が踏み潰されて、闘いの物凄さを物語っていた。もっとも、こんな出来事はそれ以前にも以後にもなく、ただ一度だけのことだという。

 肥後の阿蘇山の東端の「猫嶽」は、もともとは「阿蘇の根の子岳」で、それを「祢の小嶽」と呼んでいたのが、誤って「猫嶽」と言うようになったものらしい。
 この山は、三四百年前までは阿蘇のほかの山と同様に峰が丸みを帯びていたが、あるとき山頂から山津波が起こって土石が流れ落ち、山骨が露出して、東国の妙義山にも似たキザギザの山容となった。
 阿蘇大宮司家には、阿蘇山麓の狩の儀式の様子を三幅の掛物にした古図がある。そこにはかつての猫嶽の峰が、他の阿蘇の山の峰と同じように描かれている。

 さて、猫嶽には今、山猫が棲むという。
 熊本の某武士が狩をしてこの山に深く分け入ったとき、巌の上に白の地毛に黒い斑紋のある猫がいるのを見たが、その睨み返す眼光の恐ろしさに、鉄砲を持ちながら撃つことができず、空しく帰った。この猫は大きくはなく、通常の猫とさほど変わらなかったらしい。
 筆者の里では昔から、『年を経て大きくなった猫は猫嶽へ行く』と言い伝えている。じっさい、大きくなった古猫は大抵ゆえなく失せる。病気で死ぬ猫も中にはいるが、失踪するものが多い。
 体長一メートル半にも達した山猫には、猪も、山犬や狼もかなわないだろう。
 どんな古猫も、猪の肉を二三度食えば、たちまち巨大化して力も強くなる。山で猪の屍などを取って食っていれば、極めて大きくなるにちがいない。
あやしい古典文学 No.693