林羅山『怪談録』下「張四」より

虎の皮

 中国 宋代の、建炎年間の話である。

 荊南というところで虎が暴れて、白昼に人を捕って食うということがあり、土地の人々はみな家の造りを厳重にして、虎の害を避けようとした。
 張四という人がいて、やはり家を新たに造り直したのだが、まだその門を閉じないうち、虎がにわかに押し入ってきた。張四は慌てて梁の上に登って身を隠し、恐れおののくばかりだった。
 虎は張四を見つけることが出来ず、客間に入って一服するふうで、みずからその皮を脱いだ。すると虎の形から変じて、人間の男になった。
 男は虎の皮を傍らに置いて、大声で呼ばわった。
「やい、張。おれは天命をたまわって、おまえを捕らえに来たのだ。いかにしようと、おまえは死を免れないぞ」
 そうして家じゅうを探し歩き、さらに庭の草や木の間までもくまなく見てまわった。
 その隙に、張四はこっそり梁から降りて、脱いで置かれた虎の皮を奪い、持って登って梁に結わえつけると、また身を隠した。

 日が暮れて、男が家の中へ戻ってきた。
 ところが、脱いだ皮がどこにも見当たらない。たいそう苦しげな様子になって、叫んで言うことには、
「このやろう。逃げ隠れするばかりでは飽き足らず、おれの皮まで盗んだな。おれは天命によって十七人を食わねばならぬ。既に十六人食った。あと一人がおまえだ。嘘だと思うなら、これを見ろ」
 男は懐中から一冊の書物を取り出した。
「これは天命を記した文書だ。先に食った十六人は、その姓名に印をつけ終わって、残っているのがおまえの姓名だ。天命だからとても赦すことはできないのだが、もし皮を返すのなら、ここはひとつ見逃してやってもよいぞ」
 聞いた張四が、
「皮を返すのは簡単だ。だが、返した後で食われてしまっては困るからな」
と言い返すと、男は、
「おれは異類の身だが、約束は守る」
と言って書物を開き、張四の姓名のところに筆で印をつけたので、張四は皮を梁から投げ下ろしてやった。
 男がそれを取って身にかぶると、たちまち本来の虎の姿になって、吼え怒り、叫び猛った。
 響きわたるすさまじい咆哮に張四は肝を潰して、何度となく梁から滑り落ちそうになったが、虎はそれを振り返ることなく、去っていった。

 翌日、張四は、
「ゆうべ大いに雷が鳴って、荊南から六十里のところで虎が一頭、雷に打たれて死んでいた」
という話を聞いた。
 その虎は、天命にそむいたため罰を受けたのに違いなかった。
あやしい古典文学 No.703