『太平百物語』巻之五「獺人とすまふを取りし事」より

あやしい相撲

 讃岐ノ国に山城屋甚右衛門という人がいた。一ツ穴というところに田地があり、常に奉公人を遣って耕作させていた。

 ある日、孫八という者を遣ったのだが、孫八が一ツ穴へ行ってみると、主人の子で当年十一歳になる甚太郎が遊んでいた。
 孫八が、
「今日は高松の叔父様がいらっしゃって、父上がおもてなしになるはず。どうしてこんなところにいるのですか。早く家にお帰りなさい」
と声をかけると、甚太郎はそれには応えず、笑って言うのだった。
「相撲をとろう」
 孫八は変に思いながらも、
「そうですか。では、お相手しましょう」
と、むずと組み合い、そのままわざと負けてやると、甚太郎はたいそう喜んだ。
「ねえ、もう一番とろうよ」
 そこで、また負けてやると、甚太郎は無茶苦茶に喜んで帰っていった。

 孫八は夕方になって山城屋の屋敷へ帰り、甚太郎に、
「いやはや、今日は一ツ穴で、二番も相撲に負けもうした。無念ですぞ」
と戯れて言いかけると、それを聞いた甚右衛門夫婦は、
「今日は高松の叔父様がおいでだから、甚太郎は一日じゅう家におった。おまえ、何を言っておる」
と首をかしげた。甚太郎も、
「昼寝の夢でも見たんだろう」
と笑うので、孫八は思案した。
「たしかに一ツ穴で相撲をとったんだが……。さては、話に聞くあのあたりの獺(かわうそ)だな。けしからんやつだ。また出てきたら、打ち殺してやる」

 次の日も一ツ穴へ耕作に行くと、思ったとおりまた甚太郎がいて、
「相撲をとろう」
と言う。孫八は、これこそ昨日の獺にちがいないと思って、
「よし、わかった」
と引っ組んだ。
 そのまま自慢の剛力で宙に吊り上げ、近くの岩角めがけて投げつけると、頭を巌に砕かれて、血水の流れることおびただしく、やがて獺の姿をあらわして死んでいた。
 孫八はあざ笑って屋敷へ帰り、孫右衛門夫婦に獺退治の次第を語った。

 その夜、孫八に物の怪が憑いて、大声で口走った。
「おのれ、おのれ。わが夫をよくも殺したな。この仇をとるまでは、いつまでも帰らぬ。憎い、憎いぞ孫八」
 叫び狂うさまに驚いた甚右衛門夫婦が、実相坊という修験者を頼んで祈祷し、何度も何度も詫びたので、やっとのことで物の怪は落ちた。
 しかし、それからというもの孫八の気力はまったく失せて、力量も衰え、半病人になってしまったそうだ。
あやしい古典文学 No.704