阿部重保『実々奇談』巻之五「番町首くくり榎のこと」より

番町首縊り榎

 寛政の末のころの出来事だ。

 芝あたりの町人が用あって番町を通ったとき、折から雨が降ってきたので用意の傘をさし、例の怪しい噂のある榎の前とも知らずに通り過ぎると、なにやら襟元がぞっとして息が詰まり、背後から、
「死ね、死ね、……」
と囁くものがある気がした。
 振り返って見たが何もない。ただ道を覆うように大きな榎が生い茂っている。『さては、これが日ごろ聞き及ぶ首縊り榎か。こんなところでうかうかしてはおれないぞ』。
 下駄を脱ぎ、傘を捨てて一目散に逃げ走ったが、後ろから追いかけて、
「死ね、死ね、……」
と迫る声が、ひとしきり聞こえるようだった。

 永田馬場、山王あたりまで走って、ようやく人心地となった。息が切れて冷や汗が流れ落ち、休み休み歩いていくと、やがて芝新橋に至り、「志がらき」という茶店に立ち寄ったのは午後四時ごろである。
 まず湯を頼み、薬籠の気付け薬を飲んで、ほっと安堵の息をついているとき、茶屋の主人はこの町人の顔色が尋常でないのを気遣って、
「どうなすった」
と尋ねた。
 町人はことの次第を主人に語り、厚意を謝して店を出た。

 日の暮れる時分になって、茶店の主人はふらりと外出した。
 そのまま夜になっても帰らない。家の者はどうしたのかと大いに心配して、人を頼んで心当たりを尋ねてまわったが、行方の知れないまま、とうとう夜が明けた。
 その朝、女房はふと思い出した。
「きのう立ち寄った町人が話したのは、番町の首縊り榎のことだった。もしや、そこにでも行ったのでは」
 案内の人とともにその場所へ行ったところ、案の定、榎にぶら下がった人がいる。改め見れば、まちがいなく「志がらき」の主人だった。
 役目の筋へ届けて検視も済んで、泣く泣く遺骸を家に引き取ったが、
「死ぬような事情もないから、これはつまり、かの町人が死神を茶店に置いていったのだろう」
と世間では噂したのだった。

 また、同じころ、赤坂の食違いの土手にも榎があって、たびたび人が首を縊るので、人夫を雇って根元から切り捨てた。
 ところが今度は、その切り株に座って某藩の侍が切腹して死んだ。
 やはり妖気が残っているからだろうということで、根をことごとく掘り出し、さらに四五尺ばかり土を入れ替えた。それから後は、人が死ぬようなこともなくなったという。
あやしい古典文学 No.705