西野正府『享保日記』より

宇佐美六平の狂死

 宇佐美六平という、三十二歳で二百石取りの侍がいた。いたって壮健な性質だったのに、享保十一年十一月二十三日の夜半、突然に寝所より狂い出た。
 裸で縁側の柱に抱きついているので、見つけた妻女が大いに驚き、
「まあ、どうなさったの」
と近づいて尋ねたのを、返答にも及ばず掴んで投げ飛ばした。
 妻女はやっとのことで起き上がり、ただごとでないと老母を呼んだ。駆けつけた老母と下女たちが六平を部屋に引き入れようとしても、力が強くてとてもかなわず、かえって皆々投げ飛ばされるので、近寄ることも出来ない。
 仕方なく下男二三人を呼び寄せ、無理やり取りおさえて寝所に運び、布団をかぶせて上から押さえ込むと、医師 森尚生に往診を頼んだ。
 尚生が枕もとに寄って手を差し伸べると、病人は飛び起きて取って投げた。そのように暴れるので脈の見ようもなく、適当に薬など用いることにした。
 ひどい傷寒に罹ったのではないかとも考えられたが、熱はまるでないし、以前にそうした病気を発したこともない。尋常の病気ではないから、薬の効き目もいっこうにあらわれなかった。
 ひたすらもの狂わしくするのを抑制してさまざまに看病したけれども、その甲斐なく同月二十八日の夜更け、あがき死んだ。

 ところで、この六平には義理の兄にあたる五十余歳の人がいて、久しく六平が養って一緒に住んでいた。宇佐美家の嫡男だったが、若くして乱心したため、先代は六平を養子にむかえて相続させたのである。
 この兄は、ふだん常に屋敷内を狂いまわり、高声で歌うなどして暫時も大人しくしていないのに、六平が患いついた日からにわかに機嫌がよくて、狂うこともなく、高声もやみ、心地よさげにニンマリ笑って静かにしているそうだ。
 不思議なことだと、隣家の士が話してくれた。
あやしい古典文学 No.707