流霞窓広往『蜑捨草』巻之三「福富が妾奇難に逢ふ話」より

山館の妖老

     (一)

 明智日向守光秀が主君織田信長を恨んで本能寺へ押し寄せたとき、信長方から異形の勇者が現れた。
 身の丈六尺余、瓜紋を白く染め抜いた紺麻の帷子を肌脱ぎにし、緋緞子のふんどしの大男が、門の貫木を振り回しながら広庭へ躍り出ると、群がる敵勢を当たるを幸いに打ち伏せ薙ぎ倒した。
 朝比奈三郎義秀にも劣らぬ怪力だと、敵も味方も賛嘆した剛勇ぶりを信長も遠くより見て、家臣の福富平左衛門を呼んで尋ねた。
「あれなるは何者か」
 福富がかしこまって申し上げる。
「あれは、先の甲州攻めの際に召し抱えました岩驀(がんまく)という者です」
「下郎ながらあっぱれだ。これへ召せ」
 命を受けた森欄丸が大声で、
「御主君のお召しである。岩驀は急ぎ参れ」
と呼ばわると、貫木を投げ捨てて駆けつけ、御前にかしこまった。
「その方の働き、まことに見事。しかし、ここでむざむざ死ぬよりは、ひとつ果たしてほしいことがある。今すぐ安土城へ走り、これを蒲生賢秀に……」
 信長はこう言うと、奥方への形見の品を衣に包んで渡した。

 岩驀は涙ながらに包を取り、また貫木を振り回して難なく敵の囲みを破ると、一目散に安土へと馳せ、蒲生賢秀に会って主君の言葉を伝えた。
 奥方の驚きはひととおりでなく、形見の品を抱きしめて歎き悲しみなさる。しかし賢秀にさまざま慰められて少し気を取り直したか、岩驀に数多の銀を与えて、その労をねぎらった。
 ただちに岩驀は京都へとって返したが、もはや寺は残らず焼け失せていた。
 瓦礫の中で茫然と立ち尽くしているとき、嬰児を抱いた美しい女が歩み来て、ただ涙にくれている様子。
「どうなさったのか。われは織田家の家来で岩驀という者。あなたもここへ来てお歎きであるからには、きっと織田家近臣のお身内でしょう。ぜひとも力になりますゆえ、事情をつつまずお話しください」
と尋ねると、女は涙をぬぐいつつ、
「おおせの通り、わたくしは信長公の従臣 福富平左衛門の妾で、名を霜夜と申します。このまま都に在っては、明智の一党の織田狩りで、いかなる憂き目に遭うことか。自分の命は惜しくないが、この男子を失っては、亡き夫への女の道が立ちません。わたくしの故郷は信州の諏訪大社の近くです。岩驀どのとやら、情けをかけてくださるなら、どうか信州まで送りとどけてください」
 さめざめとかき口説くさまに心を動かされて、
「わが本国は甲州ですから、その途中、諏訪まで同道しましょう」
と請け合った。

 霜夜は岩驀を二条の家に伴い、翌日、まだ暗いうちに旅支度して、暁にたなびく横雲とともに住み慣れた都をあとにした。
 朝日の昇る日ノ岡峠から、関の清水の跡をとどめる逢坂山を越えた。大津、草津を行き過ぎて、ほどなく美濃路へさしかかり、青野が原の一里塚に一軒の酒店があった。
 榎が覆い繁って昼でさえ小暗い樹陰……、西に傾く日を透かす梢で、蜩(ひぐらし)がしきりに鳴いている。岩驀はこの涼しげな酒店で一休みして汗をぬぐおうと思って、床机に腰を下ろし、酒を乞うた。
 そのとき表から大男がぬっと入って、店の主に何かささやき、すぐに出て行った。
 やがて主が酒を持ってきて、岩驀にすすめる。何気なく受け取って呑むと、なんとも美味で香ばしく、たちまち酔いが回る気がした。呑み終わって、酒代を払い出立しようとしたとき、主は一笑して、
「おい、旅人。まんまと引っかかったな」
 その声に岩驀は振り向こうとしたが、全身が痺れてまるで動けない。こはいかにと歩もうとするに、足がはたらかずどっと転倒した。
 主が懐中から呼子の笛を取り出して吹くと、先ほどの大男とそれに劣らぬ者ども四五人が出てきて、岩驀にわらわらと折り重なり、そのまま高手小手に縛り上げる。さらに怯える霜夜を引き立てながら、
「またひと儲けだな。あとで褒美を分けようぜ」
 主は応えて、
「早く行け。この野郎は納屋に繋いでおく。おぬしらが戻り次第、打ち殺すとしよう」
 霜夜は生きた心地もない。この先にどんな厄災が待つのかと気も遠くなりながら、ふらふらと連れられていった。

     (二)

 霜夜は大男どもにいざなわれ、鳥の声が通うばかりの渓谷の急峻な道を、三里ばかりも分け入った。
 行く手に燈火の影が見え渡った。どんなところへ来たのかと眼を開き見ると、岩を重ねて塀とし、石の扉の門が堅固に築かれている。大男が門の番人に何事か告げると、奥へ取り次いだとみえ、しばしして門が開き、跳ね橋が下りた。
 門を過ぎてまたかなり行ったところに、美しく作った家があった。座敷に通って待っていると、老女が一人出てきて、白金と巻物を載せた盆を大男の前に置いた。
「大儀でした。これを取って休まれよ」
 男どもは宝を納め、立ち帰っていった。

 老女は震えるばかりの霜夜に向かって、
「そのように驚きなさるな。ここは俗世を避けた別世界なのじゃ。朝夕は美食に飽きるほどで、何一つ不足はないから、安心しておられるがよい。さて、御身をここへ招いたのには、深いわけがある。この館の御主人である山主様は、病によって女の乳を好まれる。それゆえ御身を迎えたのだが、七日あまりもしたら多くの宝を添えて送り帰してあげるから心配は無用じゃ。さあ、案内しよう。こちらへ……」
 こう言って手を取り、奥へ連れて行った。
 霜夜は少し心が落ち着いたが、主人が乳を好むというのを聞くだにも恥ずかしく、かといって否と言えばどんな難に遭うか知れたものではない。ただ七日あまりという老女の言葉を力に、奥へ進み入ってみれば、錦の几帳を立て、綾の戸張が輝き、蘭麝(らんじゃ)の香りがたち込めていた。
 敷物を幾つも重ねた上に齢七十あまりの老人がいて、ものも言わず嬉しげに手招きする。老女が霜夜をそちらに押しやると、老人はその乳を吸ったりひねったりして、嬰児のごとく味わうのだった。
 そのさまは身にしみて気味悪かったが、やっとのことで放されて、老女にいざなわれ一間に入り、休むことができた。

 こうして霜夜は、茫然と二三日を過ごした。その間ずっと、乳の出る美食を与えられていた。
 ある夜、館内の高楼に登って雲ひとつない夜空に月の冴えわたるのを眺めながら、来しかた行く末を思い巡らすにつけても、岩驀の身がどうなったのか気がかりで、心の安らぐことがない。
 そんななか、山かげの月の光の届かぬあたりから、頻りに女の泣き声がするらしかった。
 不思議に思って高楼を下り、庭伝いに行ってみると、一つの茅葺きの小屋に女が多く集まり、なにか物語っている。女たちの姿はやつれてキリギリスのようで、話す声も細く弱々しかった。そこに霜夜が立っているのを見て、
「ああ、可哀想に。あなたもやがてこんな姿になるのよ。早くこの館からお逃げなさい」
と言う。驚いて近寄り、どういうことかとわけを問うと、
「わたしたちも初めはあなたのように捕らわれ、あるいは乳母奉公と騙されて、この山館に連れて来られたあげく、今ではこんな有様。最初のころは乳も沢山出るけれど、やがては恐ろしさのせいで乳もあがって出なくなる。老人は怒りに堪えず強く吸うので、その痛みが耐えがたく、乳は少しも出ず鮮血がしたたるばかり。老人がそれをさも嬉しげに呑むうち、顔色が自然と物凄くなって、ついには体の血を残らず吸い尽くされる。女が役に立たなくなっても、山主の所業が世に洩れることを恐れて家へ帰さず、ここに留め置いて一日一度の食を与え、死にしだい捨ててしまう。そのうえ子を連れて来た者には『ほかへ遣って乳のある者に育てさせる』などと偽って、取り上げた子を谷に投げ込んで殺すのです。わたしも子を殺されて、もはや生きる甲斐もなく死を待つばかり。あなたはなんとしてもお逃げなさい。この場に長くいてはいけません。わかったら、早くお戻りなさい」
と話したのだった。

 霜夜は途方に暮れた。
 全く見知らぬ山中で、館を逃げ出したとしても、どちらへ行くのかさえ分からない。我が身はもとよりないものと思えば諦めがつくが、なんとしても子の命だけは助けたいと懸命に思案した。
 ふと気づいたのは、前を流れる谷川のさまが、連れて来られる途中の山あいの流れに似ていることだった。もしもあの谷に通っているなら、子の幸いとなるかもしれない。そこで我が身の上のあらましを書いて嬰児の付紐に結び、黒塗りの盥に乗せて腰帯で落ちないように繋ぐと、そっと谷水に浮かべた。
 盥は下りゆく早瀬に乗って、危なっかしく流れていく。南無八幡大菩薩……と念じつつ行く先を見やれば、はや白波にまぎれて見分けがつかず、霜夜はその場に泣き伏した。
 中国は唐の昔、温喬が三蔵法師を流した故事もさぞと思われて、女の姿を月ばかりがあわれに照らしていた。

     (三)

 さて、岩驀はどうなったか。
 納屋の内に繋がれて時が経つうち、痺れもしだいに解けて、今は最期を待つばかりだ。
 ほどなく霜夜を山舘へ送った大男どもが勢い込んで立ち帰り、酒店の主と褒美の宝を分配して、
「さあ、あいつを打ち殺そう」
と号した。主は、
「まず酒を一口呑め。肴に馬鹿野郎を料理しよう」
などと言って大盃を持ち出し、六人で車座になって、あちらへこちらへと順盃した。
 岩驀は思いがけない難に遭って怒り心頭ながら、縄を引き切ろうにも強く縛られていて力及ばず、さらに痺れ薬の作用か、惣身が膿み爛れて痛みが甚だしい。思うにまかせず、無念の涙がほとばしるばかりだった。
 しかし、何が幸いするかわからない。
 納屋には鼠が多くいて、岩驀の痺れが解ける前から爛れの膿汁を舐めていた。気がついて身動きするとさっと散るが、やがてまた来て舐めるのだったが、そこに神仏の加護があらわれたか、膿汁を吸うついでに縄を喰い切ってくれたのは不思議である。
 岩驀は救われて夢心地。よし、このまま酒盛りの座中に討って出ようか。いや待てよと考え直し、繋がれた格好のままでいることにした。

 男どもはひと通り盃を回し終わって、松明をともして納屋へ入ってきた。
 一人が樫の棒を取り、ひと打ちにと振り上げた。すかさず身がまえた岩驀は、棒を奪って敵を前後左右に打ち倒す。
「こいつ、手強いぞ」
 今度は太刀・脇差を抜いて斬りかかったのを飛びかわし、一人の刀を奪い取り、かたはしから斬り立てる。五人の男を前後に斬り伏せると、店の主を取り押さえ、さっきまで自分を縛していた縄で縛り上げた。
 霜夜の行方を質すと、主は震え声で、
「松尾山の奥に、乳の出る女を好む異人がおります。そこへ旅の女を連れて行くと数多の金銀を呉れますので、われらは相談して数年来このことを為し、宝を貪っておりました。あのご婦人も山館に……」
 ここまで白状したところで、岩驀は主の首を打ち落とした。
 我が刀を探し出す間に夜がほのぼのと明けたので、すぐさま松尾山へ分け入り、山舘をたずね歩いたが、捜し当てることが出来ない。がっくり気落ちして里へ下り、そうこうするうち三日が過ぎた。

 ある日、岩驀は山陰の谷川を流れ下るものを見た。
 岩角を伝って降りて見れば、幼子を乗せた盥が漂って来るのだった。これはもしやと思って手を差し伸べ、取り上げれば、まぎれもない福富の忘れ形見である。
 紐に結ばれた文から霜夜がいまだ存命と知って元気百倍、嬰児を抱いて谷川に沿う道を登れば、険阻の細道を行った末、はるかに見上げる山上に磐石の門が現れた。あれに違いないと、岩驀は勢い込んで駆け登る。
 門の番人は、血相を変えた男が登ってくるのを見て、合図の拍子木を打ち鳴らした。
 屈強の若侍七八人が、門を八文字に押し開いて出てきた。
「この深山に来るからには、何にせよ曲者にちがいない」
 一斉に抜刀して斬りかかるとき、岩驀はからからと笑って、
「われを誰だと思うか。織田信長公の家来 岩驀だぞ。目にもの見せてくれるわ」
と大太刀を振り回し、かたはしから打ち倒す。刃向かう者こそ災難で、算を乱して斬り殺された。

 この騒ぎに霜夜が外へ出てみると、返り血で真っ赤に染まった岩驀が暴れているではないか。嬉しさ限りなく、走り寄って声をかけた。
 岩驀は若侍を残らず討ち取り、霜夜に幼子を渡すと、なお奥深く踏み込んでいく。そこではすでに高楼が、一面猛火に包まれて燃え上がっていた。
 茅葺きの小屋にいた女たちが、よろばいつつ駆けてきた。
「山主は頼みにしていた若侍どもを討たれ、もはやこれまでと思ったのでしょう。高楼に火をかけて煙の中に飛び込み、焼け死にました。わたしたちは死ぬべき命を助かったのです」
 猛火がいちだんと盛んになって煙があたり一面を覆うとき、山主に仕えていた老女が逃れ出てきた。女たちはみな怒りに我を忘れ、老女を手取り足取りして、炎の中へ投げ込んだ。たちまちギャアと喚いてくたばったのは、ざまあみろというものだ。
 そのうちにも高楼が崩れかかり、やがて残らず火中に失せたのである。
 危機を脱した岩驀と霜夜は、麓に下って里人に山館の老人のことを尋ねたが、どこの何者なのか、どんないきさつであの山中に住んでいたのか、結局分からなかった。

 その後、霜夜は信州にいたり、福富の忘れ形見を養育した。成長の後は、信長の嫡孫 織田秀信に仕えさせたという。
 岩驀は甲州の故郷へ帰った。その終焉については知られていない。
あやしい古典文学 No.708