『諸国百物語』巻之一「駿河の国美穂が崎女の亡魂の事」より

海を渡る女

 駿河ノ国でのこと。

 清見寺に住む男が対岸の三保が崎の女と深い仲で、女のほうが男の家へ毎夜通っていた。
 その通い方というのが、頭に木枠をかぶり、その上に蝋燭をともして、三保から清見寺まで海路一里半を泳いでくるのだった。
 男は清見寺で合図の火をともして待つわけだが、何年もそうするうちに、『夜な夜な海上を通い続ける執念は、まったくただごとでない。どう見ても、あの女は人間ではないようだ』と思うようになった。
 怖れが次第につのって、ある夜、ついに合図の火を消した。
 女はその火を目あてにと海上を来たのに、どこにも灯火が見当たらない。あちらへこちらへと尋ね泳ぎ、波間に迷った末に溺れ死んだ。
 むごいことをしたものだ。
 その後、女の亡魂がさまざまに禍をなし、とうとう男を取り殺したそうだ。

 亡魂の執心が残っているのか、清見寺で火事があると三保も必ず焼け、三保が火事なら清見寺もきっと焼けるという。
 それゆえ今でも、三保で火事があったら清見寺で柴を焚き、清見寺で火事があれば三保では萱を燃やして、互いに火事の真似事をする。
 先年、筆者は三保明神へ参詣して、そのとき舟人から聞いた話である。
あやしい古典文学 No.712