広瀬旭荘『九桂草堂随筆』巻八より

酒石

 別府の僧 蘭谷は、親しい友であったが、数年前に世を去った。
 ふだん大いに酒を嗜み、他家へ招かれて酒の出るのが遅いときの口ぐせに、
「焼石が口から飛び出しそうだ」
と言うのは、筆者もたびたび聞いた。

 安政四年、蘭谷と同郷の友 矢田孝治が来て、こんなことを話した。
「蘭谷は酒を呑むこと数升にして酔わず、ある日しきりに叫んで、突然、一片の石を吐き出した。長さ六センチ、幅二センチほどの石だ。以来まったく酒が呑めなくなって、六七年間は一滴も口にしなかったが、その後また少し呑み始めて、ほどなく死んだのだ。
 蘭谷が吐き出したのは世に言う酒石だろうということで、それを盆の中に置き、酒を注ぐと、たちまち吸い干してしまう。何升注いでもきりがない。不思議なものだと、我が兄の淳が頼んで半分貰ってきた。半分であっても、酒を吸う力は並大抵でない」
あやしい古典文学 No.713