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林羅山『怪談録』下「呂生」より |
分身老女 |
唐の大暦年間、呂生という人が会稽から都へ出て、永崇里に住んでいた。 ある晩、訪ねてきた友人たちとひとしきり語り合って、夜も更けたので床につくと、部屋の北の隅から身長六十センチばかりの小さな老女が、しずしずと歩み出た。その衣装は麗しいが形相はきわめて恐ろしく、呂生を見て意味ありげに笑っていた。 老女は床に近づき、なにか言おうとした。 「こら。なんだ、おまえは!」 声をあげて叱ると老女は退き、かき消えたが、呂生はたいそう驚き、また恐ろしくも思った。『いったい何者だろうか……』と考えても、見当もつかなかった。 翌日、呂生が独りで横になっているとき、また老女が来た。今度も叱ると消えてしまった。 その次の日、呂生は、『あれは妖怪だ。今夜も必ず来るだろう。もし退治しなければ、我が身の災いとなるにちがいない』と思案し、ひと振りの剣を傍らに置いて待った。 はたして、その夜も北の隅から歩み出て、床の前までやってきた。 すかさず剣をとって斬り払うと、老女は忽然と床の上にいて、呂生を肘で突いた。それから左右に跳ね踊り、袖を上げて舞ううちに、さらにまた一人の老女が来て床に上り、肘でもって呂生を突いた。 呂生は全身がゾッと冷ややかになり、まるで霜を踏むような気持ちで、しきりに剣を振り上げ斬り払ったが、老女はだんだんに形を変えて舞い、分かれて十数人になった。それぞれ身長三センチばかり、目まぐるしく走り回ってやまない。 どうしていいかわからず、ただ恐れてかたまっている呂生に、一人の極小の老女が言った。 「わたしは、また集まって一つになるよ。見てごらん」 老女たちが一箇所でぎっしり身を寄せ合うと、たちまち一人になって、それは最初に来た老女にほかならなかった。呂生はいよいよ恐れ、 「おまえは何者だ。なんの怨みがあって私を怖がらせるのだ。早く立ち去れ。さもないと、道士を呼んで払ってもらうぞ」 しかし老女は笑って、 「その脅しは通用しない。道士が来るなら大歓迎。喜んで対面しよう。そもそも、わたしはここに遊びに来てるんだ。あんたに害をなすつもりはないから、そんなに怖がらなくていいよ」 こう言うと、北の隅に隠れて見えなくなった。 明くる日、呂生は、この怪事を人に語った。 道術にくわしく、変化を払うことに長けて、その名が長安にかくれない田生という人が、話を聞いて乗り出した。 「まったく簡単なことだ。その妖怪を除くのは、蟻を爪でひねり殺すに等しい。今夜、行ってみよう」 そこで呂生は、田生を同道して家へ帰り、二人して老女の出現を待った。 老女がいつものように床の前に来たとき、田生は声を怒らして、 「おまえ、ただちに去れ!」 と命じたが、老女はまるで耳を貸さず、さらに歩み寄って田生に向かい、 「よけいなお世話だよ」 と言って両手を挙げた。そのとたん、手が地に落ちて小老女となるや、躍り上がって田生の口に跳び込んだ。 田生は狼狽し、 「わっ、おれは死ぬ」 と叫んで昏倒した。 老女は、呆然としている呂生に話しかけた。 「この前、あんたに危害を加えないと言ったのに、聞き分けがないからこんなことになったんだ。この田生の体たらくをごらんよ。でも、まあいいわ。あんたは金持ちにしてあげる」 そして、去っていった。 次の日、どこからともなく、 「北の隅を掘ってみよ」 という声が聞こえた。 呂生はもっともだと思い、人夫を集めて掘らせたところ、甕が一つ出てきた。六十リットルは入る大甕で、中に大量の水銀が貯えられていた。 これによって呂生は、かの老女が水銀の精だったことを知った。 いっぽう田生は、寒病を患って癒えず、ついに死んだそうだ。 『宣室志』に載っている話である。 |
あやしい古典文学 No.716 |
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