松浦静山『甲子夜話』巻之十九より

討ち死にの説

 徳川家康に仕えた横田甚右衛門は、もと武田家臣で、『甲陽軍鑑』には横田甚五郎の名で載っている。実父は原美濃守、養父は横田備中守である。

 甚右衛門が八十有余歳で老衰により危篤状態であったとき、譜代の家来たちが枕元に集まって、
「ああ、むざむざとお果てになることだ。戦場で見事討ち死になさるご覚悟であったろうに、さぞやご無念と……」
などと涙ながらに語り合った。
 そのとき、甚右衛門は瞑目して今にも息絶えようかという容態だったが、ふと目を見開き、周囲をきっと睨みわたした。
「おまえら、武士の道を知らんな。討ち死にとは我のことぞ。若年のころより強敵をあまた討ち従え、心のままの働きをして、今、畳の上で静かに死を迎える。これこそ武士の討ち死にというものだ。おまえらの言うのは、討たれ死にじゃわ」
 言い終わると、そのまま絶命した。
あやしい古典文学 No.717