HOME | 古典 MENU |
『新御伽婢子』巻二「髪切虫」より |
髪切虫 |
某家中の武士が重く病んで、毎日 名のある医者や鍼師を招き、さまざまに薬など用いて療治につとめていた。 ある朝も一人の医者が見舞ったが、寝所のほうから、 「こちらへ」 と呼ぶので、ためらわず奥へ入って脈を診ようとしたところ、病人が一夜のうちにすっかり剃髪していたので驚いた。 「どうしてまた、急に出家なさったのですか。いまだお年も若いのに、よくぞ上様のお許しがすぐ頂けたものですな」 医者の挨拶にびっくりして、武士が手をあげて頭を撫でてみると、きれいさっぱり剃り落とされて、毛髪の一筋とてなかった。 「これは夢にも覚えのないこと。何者の仕業か。外の者ではなく、遺恨を抱く召し使いどもがやったにちがいない。侍が寝ほうけて知らぬ間に頭を剃られたなど、もう世間の笑いものだ。許せん。厳しく詮議するぞ」 怒り狂う武士のつるつる頭を見て、家来たちは大いに動揺したが、これといって取調べの手がかりもなく、ただ呆れているばかりだった。 翌日のこと。 同じ家中の武士が、町に所用あって中間一人を連れて出かけ、絹の反物などを見て回っているうち、白昼にもかかわらず知らぬ間に剃髪された。 屋敷へ帰る途中、中間が後ろから見て、 「あっ、これは」 と叫んだので、本人も初めて気づいた。 これまた穿鑿のしようがないまま、髪が元どおりになるまで出仕を控えているうち、先の病気の武士のことを聞いて、 「さては天魔の所業であったか」 と得心したのだった。 目に見えず耳に聞こえず、色もなく音もなくかかるわざを為したのは、じつに不思議なことである。 町人のあいだでも、同様のことがあったらしい。 『髪切虫というものが飛行して、目には見えず黒髪を喰らう』などと、さかんに評判された。 |
あやしい古典文学 No.720 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |