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浅井了意『伽婢子』巻之十一「土佐の国狗神 付金蚕」より |
土佐の犬神 |
土佐の国の幡多(はた)というところでは、土民が数代にわたって、犬神というものを持っている。 犬神を持った人が他の土地へ行って、他人の小袖や財宝・道具など何であれ欲しいと思う心を抱くと、たちまち犬神がその所有者にとり憑いて祟りをなす。大熱を発して悶え苦しみ、胸や腹が痛むこと錐で刺されるがごとく、また刀で斬られるがごとくである。 この病を癒やすには、その犬神の持ち主をたずね求めて、欲しがっている物を与えるしかない。さもないと久しく病み臥せった末、ついには死に至ることになる。 かつて土佐の国主がこのことを聞いて、幡多一郷の周囲を垣根で取り囲んだうえで火をかけ、土民ことごとく焼き殺してしまった。 以来、犬神は絶えたはずのところが、稀有にして生き残った一族があって、犬神はこれに伝わり今もあるという。 犬神の持ち主が死ぬとき、犬神は家を継ぐべき者に移る。その様子を、傍にいる人は見るらしい。 大きさ米粒ほどの犬で、白・黒・斑などの種類がある。死んでいく人の身を離れて、家の跡継ぎの懐に飛び入るのだそうだ。 そうして犬神持ちとなった人は、やりきれなく思うものの、受け入れるしかない。それは自分の力ではどうにもならない持病なのである。 中国でも、呪詛の祈祷や秘法が盛んに行われる土地があるという。 その地で金蚕(きんさん)という持病をもった人が、それを他人に送り移すことがある。 黄金と錦、かんざしの類、ほかさまざまの重宝類を、道の左に捨てておく。誰かがこれを拾って家に帰れば、金蚕の病が移る。 金蚕は、形は蚕にして色は黄金のようだ。人にとり憑くと、はじめは二三匹だが徐々に多くなり、家じゅうに満ち満ちて人の身を苛むようになる。打ち殺しても尽きることはない。 拾った黄金・錦などをことごとく失って後、病は少しずつ癒えるのだそうだ。 |
あやしい古典文学 No.724 |
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