森春樹『蓬生談』巻之四「川を隔てて火葬の煙川中にて合ひてのぼりし事」より

寄り添う煙

 豊前ノ国下毛郡の山国谷、草本村の兵助という者は、筆者が五六歳のとき森三右衛門宅で下男奉公していた。
 いったん村へ帰ったが、十年ばかりたって戻ってきた。十歳になる男児を連れていて、三右衛門方や筆者の家などで手間仕事をした後、町年寄の日隈氏の水車番になった。
 この兵助が、草本村に帰っていたときの話である。

 兵助の妻は、隣村 小屋川村の男と出来合って駆け落ちした。
 その後、風の便りに兵助は、知るべもない遠方の地で二人が苦労していると聞き、人を通じて呼び返すと、妻を男にくれてやり、「元の村で稼げ」と言ってやった。
 しかし、元来その男は意気地のない怠け者で、いっこうに暮らしを立てることが出来ず、困窮していくばかりだった。
 兵助も富家に奉公する身で貧しい中から、折ふし米や粟など少しずつ渡してやったが、いよいよ貧苦が極まって、夫婦ともども首をくくって死んだ。
 男は村に親類縁者がなく、もとより家に貯えもない。村の者は相談して、『男のほうは、村じゅうで世話して葬式を出すしかない。しかし妻の葬儀までは引き受けかねる』という話になった。
 『妻のほうはそちらで』と言ってきたけれども、兵助としては受ける理由がないから断った。しかし小屋川村の者は、強引に死骸を担いで押しかけた。
 そこまでされて兵助も、『これ以上死に恥をさらさせるよりは』という気持ちになり、もはや言うべきことも言わず、自分が弔いを出すことにした。
 二人の火葬は、渓流を隔てて向かい合った場所で行われ、火をつけたのもたまたま同時同刻だった。
 立ち上った二つの煙は、風もないのに両岸から川の面に靡いて、川の真中で行き合うと、互いに巻きあい絡みあって空へ向かった。
 人々は皆、不思議な思いで煙の行方を見送ったのである。

 筆者は、このことを人の噂に聞いて真実を知りたく、ひそかに兵助に尋ねたところ、噂どおりだとわかった。
 ちなみに、彼の十歳ばかりの男子は、その妻の産んだ子である。
あやしい古典文学 No.732