森春樹『蓬生談』巻之四「豊前宇佐郡の八面山の池に烏賊有り…」より

海気に感じて

 豊前宇佐郡の八面山は奇山である。
 この山は、いずれの方角から見ても頂から稜線・麓の形状が同じなので、八面山の名がある。俗に、箭山(ややま)ともいう。
 近くに接する他峯がなく、少し隔てては高い峯もあるけれども、独立した峯である。山上に池があって、鬱蒼たる梢に覆われ、暗くかつ深いという。
 その池水が流れ出るかして、白滝をなしている。滝の流れが遥か遠くからでも見える。独立の峯からこのように渓水が流れ落ちる例はほかにない。夏秋は樹葉に遮られているが、初冬から中春のころまではよく見える。

 土地の言い伝えによれば、八面山の池の主は巨大な烏賊(いか)だそうだ。
 池水に海の生き物とはいかがかと思われるが、先年、大分郡の萩原というところの池の改修工事で水をかい出したところ、さしわたし四五尺に及ぼうかというエイが見つかったこともあった。

 また、筑後三池郡の早米来(そうめき)村は海岸にあるが、浜が次第に潮干地となって、かつては潮が来たところが一里ばかり陸地となっている。
 そこの田の岸の下に冷水の湧く小さい泉があり、村じゅうの者が汲んでいる。
 泉には昔から魚などいなかったのに、近年、小魚が出てきた。つかまえてみると、海のハゼだった。「真水に海魚が生ずるのは珍しい」と、村の名主の話である。
 これは、むかし潮の干満があった場所だから、その気が残っていて、そこから生じたと思われる。

 八面山の池は、海から遥かに二里ばかりも隔たっている。しかし、山上からじかに周防灘を望むところだから、海気の感ずる道理があるにちがいない。萩原の場合は平地の池水だが、海に近いから、海気も伝わるはずだ。
 八面山の烏賊、萩原のエイ、いずれもまた海気に感じて生じたものであろう。
あやしい古典文学 No.735