阿部重保『実々奇談』巻之五「箱根一眼寺の事」より

箱根一眼寺

 「箱根の山奥に、一眼寺という古寺がある」と世に伝えられる。真偽のほどは疑わしいが、ある人が語ったままに記しておく。



 一眼寺は、本尊をはじめとする諸仏、さらには住職から小僧に至るまで、みな一つ目である。魔所として知られ、そこへ踏み込んだ者が再び戻ることは稀だという。
 公儀の命でこの寺を廃そうと役人らが赴いても、そのような場所はどこにも見つからない。一人でふと道に迷い行くと、きっとその寺があるという。

 どこかの家中の武士が、用向きがあって大阪へ上り、事をし終えての帰りに、箱根で道に迷った。
 あの山この谷と越えても街道へ出ず、行けども行けども人家なく、そのうち日は傾きかかって午後四時を回ったと思われるころ、深々と樹木の生い重なった一筋の道に出た。
 向こうを見ると、古ぼけた寺がある。本堂の屋根は崩れかけ、寺門も朽ち損じた哀れな有様である。『とにかく行ってみよう』と歩を進め、入って本堂に上がってみると、本尊の手足まで欠けていた。
 『この様子では、檀家も極めて少ないだろう』と、懐中から銭二百文を取り出し、本尊の前に寄進料として置いて拝んだが、ふと見ると、なんと仏は一眼だった。
「お気の毒に。全き姿になされますように」
 そう言って、また別に百文を包んで差し上げ、あらためて堂内を見回せば、鼠の糞うず高く、蜘蛛がいたるところに巣を張り、蝙蝠の棲みかとなって、なかなかに物凄い。
 煙草を一服しようと庫裏のほうへ回り、声をかけて火を頼むと、十五六歳の蒼ざめた顔の小僧が鼠色の着物で出てきた。
「ただいま火を起こして進ぜましょう」
 うち頷いて炉に少し炭を入れ、息を吹きつけた。
 小僧の口から青い火が出て、炭火はたちまち熾る。驚いて小僧の顔を見ると、眼が一つだけ。気がつけば、あたりの地蔵も濡れ仏もみな一眼で、その顔がまるで生きているかのようだ。
 背筋からぞっと震え上がり、『ここは人の来てはならない魔所だ』と、慌てて元の道を逃げ戻った。その後ろから、
「おおい、おおい……」
と、かの小僧が追ってくる。
 木の根踏み越え、草の原を押し分けて命がけで逃げ、ほどなく街道へ出ると、もはや追い来る者もいない。やっと人心地がついて、その夜は八時ごろ小田原にたどりつき、泊まることができた。

 箱根の山坂を、石に躓きながら藪も原もところかまわず逃げ走ったせいで、手足はひどく傷んでいた。もう一歩も歩けないようだったので、翌朝は駕籠を雇い、夜明けとともに出立した。
 駕籠かきの習慣として、道に水溜りとか小高くなっている所とかあると、先棒の者がそれを知らせ、後棒の者が受けるということがある。
 駕籠の中から耳を澄まして聞くに、先棒が、
「もう取ろうか」
と言い、後棒が、
「目の恩がある」
と応えているようだ。『おかしなことを……』と思い、声をかけた。
「おまえたちは、何を言い合っているのか」
 すると駕籠かきは、
「いえ、わしらは『危ないぞ、躓くな』『承知』、『ぬかるぞ』『承知』と言っております」
と答える。なるほどと思って、そのときは済んだ。
 しかし、また水溜りがあると、例によって、
「もう取ろうか」
「目の恩がある」
と応酬するので、これはまだ魔所の者が付きまとっているのだと、その駕籠を帰した。
 大磯で別の駕籠を雇ったが、その先棒・後棒も同じことを言う。いよいよ気味が悪く、馬入川の前でついに駕籠を捨て、竹杖にすがって戸塚まで歩いて泊まった。
 ここから先は、さすがに往来も賑やかなので、怪しいことは起こらなかった。

 そうしてなんとか我が家へ帰りついたが、その後も気分がすぐれず、しだいに病み伏して、頭も上がらない重患になった。折々、
「一眼寺の小僧が追ってくる。恐ろしや、恐ろしや」
などと、あらぬことを口走った。
 『旅の疲れが出たんだろう』と、近所に住む朋輩たちも、毎日訪れて看病した。しかし医薬の効果なく、ますます骨と皮とに痩せ細り、とうとう死んでしまったそうだ。
あやしい古典文学 No.736