鈴木桃野『反古のうらがき』巻之三「うなぎ」より

鰻を割こう

 わが師である内山先生は、きわめて気性のまっすぐな人であった。また何かにつけて、大変なヘマやドジをすることが多かった。

 ある時、知人からたいそう大きな鰻を二匹もらった先生は、自分で割いて蒲焼というものにして食べようと思った。
 桶から一匹取り出して俎板の上に置き、『魚屋が鰻を割くには、手で撫でさする。すると大人しくなって、簡単に割かれるらしい』と少し手で触れたら、ぬらぬらと動き出して、あたりを這い回った。
 そこで今度は強く捕らえて俎板の上に押し付け、三つ目錐でもって喉のあたりを貫いた。そのまま俎板に刺し通そうとしたが、あらかじめ穴をあけていないから、容易には板に通らない。難渋して、
「誰か来てくれ」
と呼ぶと、当時十七八だった今のV斎先生が駆けつけ、その助けで、魚を貫いたまま錐をもむようにして、やがて俎板に刺し通した。
 鰻は苦しさのあまり懸命にもがく。喉のあたりを板に貫かれては逃れるすべなく、ただしきりにうねり回る。
 なかなか割くきっかけがつかめないが、なにしろ二人がかりだから、ついに包丁で骨のあたりを少し切り割いた。しかし、なんだか勝手が違う。よくよく見ると、あまり慌てたせいで、向きを違えて刺していた。
「こりゃ駄目だ。おまえの方から割け」
「こっちからでも向きが違います。割けません」
「しかたがない。刺し直そう」
 錐を抜くと、鰻はここぞとばかりに力の限りぬめり出て、かまどの下に這い込んだ。
 薪どもを取りのけて探し出すと、鰻と分からないほど塵にまみれて、そのためぬめりもなく捕らえやすくなっていた。
 すぐに捕らえて再び錐を刺せばよかったのだが、あまりに汚れているからと桶の水で洗ったところ、もう激しく這い回って捕らえようがなく、そうするうち鰻は、板の間の隙から縁の下へ逃れた。
「どうしましょう」
「この板を一枚はがせ」
 床板をはがしてみると、鰻はまた塵にまみれて捕らえやすくなっていた。
 前のことに懲りて、そのまま俎板に押し当て、
「早く錐を刺せ。早く」
「はい。あれっ、錐がない。錐はどこ……」
 あちこち探して、やっと縁の下に落ちているのを見つけ出した。
「早く刺せ。またぬめってきた。もう手から抜けそうだ」
 そこで慌てて錐で突くと、今度は少し端のほうを刺した。鰻は今を限りと尾を巻きつけ、自分の首際の肉の少しばかり貫かれたのを力任せに引き千切って、またも狂い出た。
 これではどうしようもない。また縁の下に入らないうちにと、とりあえず鰻を桶の内に掻き入れ、二人して思案に暮れた。

「よし、思いついたことがある」
 まず鍋蓋を押板にして桶の水面に置き、上に石で作った七輪を重しに乗せた。それでもって二匹とも押しひしぎ、仮死状態になったところを割こうという考えだった。
 しかし、二匹の大鰻の力は重しをものともせず、時々は押し返すように動いて、いっこうに弱る気配がない。
「まだ重しが足りないのだ」
 そこで大鉄瓶に水を溢れるほど入れて七輪の上に置くと、さすがにこれで動きは止まった。
 しばらくして、
「もうよかろう」
と重しを取りのけてみると、あにはからんや鰻は少しも弱った様子がなく、両界山の軛をのがれた孫悟空の心地か、またまた狂い出ようとするのを、からくも鍋蓋で圧しすくめ、七輪を元のように押し据えた。
「とてもじゃないが、手にあまりますね」
「うむ……」
 しばらくはその場でぼんやりしていたが、ふと素晴らしい知恵がひらめいた。
 まず七輪に炭をたくさん入れて火をおこし、水の入った大鉄瓶をかけたまま団扇であおぐと、ほどなく沸騰した。その熱湯を鍋蓋の隙間から注ぎ入れたから、たまったものじゃない。なかば茹でたようになって、二匹とも死んでしまった。
「これなら安心だ」
 取り出して割くと、包丁の歯もすっと通って綺麗に割けた。
 それを串に刺して焼いて食ったところ、思いのほか不味かったそうだ。
あやしい古典文学 No.738