加藤曳尾庵『我衣』巻八より

大食大飲病

 文化十年七月二日付の岡山からの書状に、次のように記されている。



 近ごろ当地にて一大奇病がございましたので、お知らせします。

 岡山の景福寺という禅寺の弟子僧 惟雲は、四五年前から大食し始め、だんだん甚だしくなって、近年は一日に三四升の飯を食いました。
 加えて去年の秋からは水を呑むことおびただしく、一度に一升から二三升にいたって、院主はじめ皆みな驚き呆れておりました。
 しかるに、当年春より病を発して床につき、枕の上がらない病状に及びました。それでも大食大飲は衰えませんでしたが、五月末ごろからさすがに分量が減ってまいりました。
 六月中ごろ危篤となって、言語定まらず意識朦朧の容態だった十六日の朝、看病の者が病床に鶏卵のようなものがあるのを見つけました。
 病人の糞だろうと捨てようとしたのを、院主が見て怪しみ、手にとってよくよく見ると、柔らかな肉体で、眉・目・鼻・口がありました。口中には、銀針のごとき歯が生えそろっておりました。
 たいそう気味が悪いので、人に命じて寺の裏の小川へ投げ込ませたところ、その物は川藻の上に留まって流水を飲んでおったそうです。

 おそらくは、数年来この怪物が僧の腹中に跋扈し、病末に及んで口から走り出たと思われます。
 病僧は、翌十七日に死にました。
 こんな奇病もあるものでしょうか。まさに奇談でございます。
あやしい古典文学 No.739