鈴木桃野『反古のうらがき』巻之一「強悪」より

迷惑な風呂敷包み

 天保の初めごろ、青梅の辺りに、風呂敷包みを持ち歩いて「質に置こう」という浪人があって、所の家々が迷惑した。
 包みの中身は生首だった。

 包まれたまま質に取るということはないので、
「ぜひ中を改めたい」
と言うと、なんだかんだと難しく言って改めることを許さない。
 面倒なやり取りになるうえに、包みのまま見ても人の生首と分かるので、これは穏便に計らうに越したことはないと、金子を少々遣って引き取ってもらおうとする。
 すると最初は、
「理由のない金子は取れぬ」
などと言っているが、結局は受け取って帰るのだった。

 そんなことが度重なって、ついに八州廻りという役人に召し取られた。
 吟味に及ぶと、もとよりの強盗だから弁明することもなく、すらすらと白状して、
「駿河・甲州の境あたりから東海道へも出て、この強請をなすこと六七年、切った首は二十以上、金子を得たことは数知れずです。今、命数尽きて召し取られましたれば、何も思い残すことはありません」
と言う。
「その首は、どのようにして得たのか」
という問いには、
「一つの計略を用います。幾人も同じ方法で切りました。一人として失敗しないので、行く先々でやりました。その計略とは、野宿している乞食を語らって、『俺が浪人者の役でおまえを縛り、村の近辺まで連れて行く。おまえは助けを乞うて大声で泣き叫べ。人が集まって尋ねたら俺は、金子一両を持ち逃げした下人に行き会って捕らえたから手討ちにする、と言う。きっと、おまえの命を助けようと少々ずつ金を出す者がいるだろう。その金を得たら、二人で山分けだ。知った土地ではまずい。遠くへ行ってやろう』と連れて行きます。河原などで荒縄でかたく縛り、『この格好で村へ行くのだ』と騙して人里離れたところに引いてゆき、口に手拭なり土砂なり詰め込んでから、押し伏せて首を切ります。いたって手軽な方法です」
と答えた。さらに、
「刃物は何を用いたのか」
という問いには、
「数年前より、刺刀(サスガ)一本を肌身離さず持ち歩いています。重宝なものです。人の首を切るにも、刺刀で少しずつ切り離して骨ばかりを残してから、仰向けにしてもげば、たいがい取れます。少し残った肉筋が続いていても、それをまた刺刀で切り離すのは簡単です。いちばん切りやすいのは、河原で顔だけを水に押し伏せて切るやりかたです」
と答えた。

 残忍非道といっても、これほどの者は珍しい。
あやしい古典文学 No.741