『因幡怪談集』「丹後町惣門辺不思議の事」より

真夜中のにぎわい

 杉浦清右衛門の屋敷は、内丹後町の惣門ぎわにあった。
 ある年、清右衛門の妾が男子を産んだ。ずいぶん歳とってから出来た子なので、清右衛門の寵愛ぶりは並大抵でなかった。
 初めての端午の節句には、土地の風習どおり五月一日から幟・菖蒲・兜を飾ったうえ、さまざまな人形や飾り物を作って展示したので、世間では「世にも珍しい催し物だ」と評判して、大勢が見物に来た。町家じゅうは言うに及ばず、城下に近い村々からも男女連れ立ってやって来て、丹後町惣門の内外は往来の群衆で混雑した。

 ところがここに、不思議なことがあった。
 一日の夜以来、深夜になると人が多く往来する音が聞こえた。惣門の内にある侍屋敷では、表長屋に住む若党・小者などが不審に思って、格子窓の隙間から「何者だろう」と伺い見たところ、まるで昼間のように人々が往来していた。
 老人と愛妾の二人連れが行き、また子供の手を引いて帰る年若い女房の姿があった。町人や百姓が五人あるいは三人同道して、話をしながら通った。小声で友達と話すように聞こえるが、内容までは分からない。大勢が行き交う中で、なんとなくわやわやと話し声が聞こえる。
 『夜中に幟や兜が飾ってあるはずはない。それに、宵のころは人通りが稀だったのに、夜が更けてから急に多くなるのは甚だ不思議』と思うのだが、べつに異形の者ではなく、ごく普通の人々だから、見咎めてあれこれ言うわけにもいかない。人が通る時刻ではないのに、昼の如く賑わうのが不審なばかりである。

 二日の朝にはさっそく、水を汲みに出た下僕たちが井戸の周りに多数集まって、
「その方たち、見なかったか。聞かなかったか」
 一人が語ると、だれもかれも口々に、
「そうそう、おれも見た」
「わしも聞いた」
と言って不思議がった。
 そこで彼らは、通り筋の侍町の主人それぞれにこのことを報告した。

 通りには井上清兵衛の屋敷もあった。
 清兵衛は話を聞いて、ことの虚実を見届けようと、二日の夜、小者が居る部屋へ出向いて時を待っていたところ、午前二時ごろであろうか、聞きしにたがわず大勢が行き来する音が聞こえてきた。
 障子に穴をあけてひそかに覗くと、目に見える様子も話と少しも違わなかった。
 翌三日の夜は佐膳半左衛門宅で連歌の会があって、清兵衛も出かけたが、その席で一色忠五郎と出会い、このことの話をした。
「どう考えても、人の多く通る刻限ではないから、狐狸の仕業でしょう。どうです。気晴らしがてら、拙宅に来て様子をご覧になりませんか」
 忠五郎はこのように誘われたが、その夜は都合が悪く、清兵衛に断りを言って行かなかった。
「今思えば、あの晩行って見たら後々の話の種になったものを、残念なことをした」
と、これは忠五郎の話したことである。
あやしい古典文学 No.750