林羅山『幽霊之事』「公子彭生」より

貝丘の豚

 公子彭生は、斉の襄公の臣下で、大力の持ち主だった。

 魯の桓公が斉の国へ赴いて襄公と会見した際、子細あって、襄公は桓公を殺そうと思った。
 そこで桓公を宴会に招いて饗応し、帰りの車に乗せるとき、殺害を命じられた公子彭生が桓公の肩骨をとって押し込み、そのまま車の中で捻じ殺した。
 魯の国からの使者が斉に至り、
「どうして我が君は帰らないのか」
と責めると、襄公は、
「桓公は殺された。彭生が犯人である」
と言って彭生を処刑し、死骸を魯に送った。

 後日、襄公が貝丘(ばいきゅう)というところへ狩に出かけると、そこに大きな豚が現れた。
 供に従っていた者どもは、大豚を見て、
「あれは彭生様だ」
と騒ぎ立てた。怒った襄公が、
「彭生だと。死んだやつが出てくるものか」
と言って、矢を射かけた。
 そのとき豚は人のごとく立ち上がり、激しく吼え猛った。襄公は驚き恐れて、車から落ち、足を傷つけ、履(くつ)を無くした。

 まもなく斉の国に反乱が起こった。
 敵が宮殿内に攻め込んだので、襄公は戸の下に隠れた。
 敵兵が襄公を捜しまわっても、なかなか見つからなかったが、ふと足が戸の外に出ているのが見えて、
「斉の君はここにいたぞ」
と呼ばわり、ついに襄公は殺された。

 豚と化した彭生に恐怖して襄公が足を傷つけたのは、彼自身の最期の予兆だったのである。
 この話は『春秋左氏伝』に載っている。
あやしい古典文学 No.751