青葱堂冬圃『真佐喜のかつら』五より

秀吉奇態

 大河内茂左衛門という人が、筑前中納言小早川秀秋に仕えていたときのこと。
 秀吉公の正室であった北の政所殿へ使者として参って、御返事を待っているあいだ、某御女中とよもやまの話をして、こんなことを尋ねた。
「大名高家の身分の方でも、人によって変わった癖があり、珍しい振る舞いなどなさると聞きます。おそれながら秀吉公御存生のころには、さぞや奇異のこともあったのではございませんか」
 すると、
「さして変わった御様子のことはありませんでした。ただ、折々は一間の御寝所に入られ、御まどろみの節は内から掛け金を掛けてしまわれます。御目覚めまで決して起こしてはならぬとおっしゃるのですが、あまり長く御休みになっている間に家臣の方々が御用で参られ、『是非うかがいたく……』などと申されるときは、やむをえず障子の外から御様子伺いなどすることもあります。その際に障子に針で穴をあけ秘かに覗き見ますと、御姿が広いお座敷いっぱいに膨れていらっしゃる時がありました。そこまではないが三四畳敷くらいに広がって見えることもあって、まことに身の毛のよだつ思いがいたしました。何かにつけ尋常の御方ではなかったのです」
と語ったという。

 これは茂左衛門みずからの記録に載っている話だ。
あやしい古典文学 No.757