森春樹『蓬生譚』より

妖物コラボ

 河童は、大がかりな怪異をなす場合、狐・狸・猫・人の幽霊などと助け合って行う。
 そのような怪異が、豊前中津藩の山崎主馬という家老の屋敷で、寛政四年三月上旬から五六月あたりまで続いた。

 筆者は同年四月、所用あって中津城下に滞在しており、まさに事件のさなかであった。
 それが何をきっかけとして始まったのか分からないが、はじめの頃は世間でよく聞かれるようなもので、小石を投げ、家を揺るがし、あるいは砂を撒くといった悪戯だった。
 だんだんと増長して人糞をふり撒くにいたったので、山崎家老も汚さに我慢ならず、屋敷内を大がかりに捜索するとともに罠を仕掛けて、年とった猫一匹と狸一匹を捕獲し、殺害した。
 これによって妖物連合の怒りが沸騰したか、火を用いた攻撃に転じ、ついには屋敷の屋根から出火して周辺の侍屋敷二三十軒を類焼する大火事を起こした。
 山崎家老は先代藩主の実弟である。中津侯もいろいろ心配し、山崎家はとりあえず侯の客屋に引き移ることになった。
 その屋敷でも、なお不審な火が起こること度々で、あるときは軒を、あるいは屋根裏をと、人目の届きにくいところを主に焼いた。
 家来の人々は昼となく夜となく番をしており、筆者もひそかに行って見たが、その日は番人小屋の棟の上で火消道具と水を持った三人が身構え、まことに厳重な警戒ぶりだった。

 その後、屋敷を訪問して妖怪を罵る人があると、たちまちその人の襟・袖、あまつさえ顔面にまでも、人糞を塗りつけるようになった。中津の官医 大江文明氏も、袖に塗られてしまったそうだ。
 山崎家老はこの難を除けようと、諸寺諸山の神職・修験者を呼んで祈らせたが、いっこうに効果がない。そこで肥後熊本の六所権現とかいう神社の禰宜(ねぎ)志摩という人を招いて祈らせると、妖物が下女に乗り移った。
「この家の先祖の奥方に、妾を無体に殺した者がいるぞ。殺された女の霊が、河童・狐狸・老猫を語らって暴れているのだ」
 そのように言うのを、いろいろと宥め慰めたので、やがて怪異は鎮まったそうだ。
 もっとも完全に鎮まったのは、山崎家老の奥方の侍女のうち一名に不審なところがあったのを、里に帰してからである。
 その侍女はべつに妖怪が化したものではなかったが、その女に河童が魅入って、ぜひとも犯そうと苦心していたらしい。しかし家老の屋敷にいては容易に近寄りがたく、それもまた怪異をなした理由だという。

 これと同様な話は、筑前の福岡や秋月、そのほかの諸国でも、おりおり聞かれるところである。
あやしい古典文学 No.759