森春樹『蓬生譚』より

河童の元服

 豊前中津の官医 大江文明氏は、近国に並ぶ者のない名医である。筆者もこの医師のおかげで命を助かったことがあり、以来 懇意にしている。
 その大江氏が、河童についてこんな話をした。



 この世に河童ほど憎いものはない。
 中津城下を流れる中津川では、おりおり河童の難がある。川の中で毒風に当たって死んだとか川底の石で胸を打って死んだとかいうが、実のところ水中での死の十中八九は河童の害である。
 私は、河童に悩まされて病気になった人をたびたび治療した。
 その中の一人は河童が乗り移って、さまざまなことを言い狂っていたので、これを縛めて問い質した。

「おまえたち河童が人を害するのは、いったい何故なのか」
「人の腹内の大腸・小腸を抜いて食うためさ」
「それはかねてより聞いて知っている。しかし、何故に腸を食うのか」
「腸を食えば、十四になるからだ」
「十四というのは、齢のことか」
「そのとおり」
「生まれてから十四年に至った河童は普通にいるだろう。同じように十四歳になるのを待てばいいではないか。待つのがさほど辛いとは思えぬが……」
「それは人間世界の話さ。我々にとって十四とは、ただ十四年を経ることではない。いろんな修行を積んで、それが終わるとやっと十四になれるのだが、その修行というのがおそろしく難しく、十のうち七つ八つは修得できないのだ。ところが人間の腸を抜いて食えば、たちまちにして十四になる。だから常に心がけていて、機会あれば抜いて食うのだ。おまけに人間の腸の美味はえも言われず、我々の食の中で最上というべきものだ」
「それなら、人はしょっちゅう川で水浴びなどしているのに、その腸をかたっぱしから抜いて食わないのは何故か」
「わはは……。貴殿は学問にすぐれ、とりわけ医道の名人で、人命を一手に預かるほどの人なのに、そんなことも分からんのだな」
「うむ、分からぬ。教えてくれ」
「我々は畜類だ。かたや人間は人間で、すべて生き物の中で人間ほど恐ろしいものはない。その人間を、我々が手にかけて命を取るのはたやすいことではない。我々の方がよっぽど時の運に恵まれ、人間の方も取られる運命に巡り当たったときでなければ、命は取れない。いつもは人間を眼の前に見ながら、取れないでいるのさ」

 河童が腸を抜くとはかねて聞いていたが、これほど委しく理由を聞いたことはなかった。
 近年のこと。近くの川で十三四歳の少年が河童に殺されたとの知らせで、すぐに駆けつけて死体をあらためた。
 たしかに肛門から腸を抜き取ったらしく、引き出されて千切れた腸が三四寸ほど残っていた。腹の中は空虚で、押さえてみるに何もなかった。
あやしい古典文学 No.760