『文化秘筆』より

赤子をあやす猫

 湯島六丁目で煎餅屋を営む夫婦があった。
 ふだん亭主は屋敷町へ菓子の荷を担いで売り行き、店のほうも客で賑わって、何不自由ない暮らしだった。
 十年ほど前から雄猫を飼っており、女房はそれをことのほか可愛がって、夜は寝間に入れて一緒に休むなど小児同様に取り扱い、毎日魚を食べさせ、夏は行水させ、冬は暖めてやり……と心を配ったので、ほかの家の猫にくらべたいそう綺麗に成長した。
 亭主もまた、女房の猫への愛情にほだされて、一緒になって可愛がっていた。
 しかし去年、夫婦の間に子が生まれた。元気に育って、このごろ少しずつ知恵もついてくると、猫よりわが子を大事にするのは無理からぬことだった。

 六月十三日の夜、夫婦と小児と猫が一つ蚊帳に入り、みな熟睡しているかに見えたが、ふと小児が目を覚まして笑みを浮かべ、微かに声をたてた。
 すると猫がその枕もとへ寄り、口を開き両の前足を上げて小児をあやす仕草をした。しだいに身ぶりが大きくなって、ついには後足で立ち上がって踊りはじめた。
 その音に亭主も目を覚ました。猫の姿に驚き恐れ、手近にあった火吹竹を掴んで滅多打ちにした。
 猫は死んでしまったので、死骸を裏の空き地へ捨てに行った。
 そのわずかの留守に、女房がにわかに高熱を発して猫の真似……、
「なんでじゃぁ。なんで殺したぁ」
とおめきながら、両手を上げ、かっと口を開き、帰ってきた亭主の喉ぶえに何度も喰いついて、その場は目も当てられぬ惨状となった。
あやしい古典文学 No.764