森春樹『蓬生談』巻之七「豊後国東郡近部異人の事」より

落ち着いた人

 豊後ノ国 国東郡の近部(きべ)というところに、宗桂という医師がいる。
 宗桂の祖父は、もとは沖合いの姫島で医業をいとなんでいて、ひょんな事情でここへ来た。
 たいそう変わった人で、ある年の夏、大雨による山津波で家が海に流されたが、本人はその中にいて平生のごとく騒がなかった。
 どこまで流れていくのやらと暢気に考えるうち、ふと思いついて謡曲の『高砂』をうたいだし、「……はや住之江に着きにけり」とうたい終わったとき、家はとある浜辺に漂着した。
 水はおさまったし家もあるからと、その浜に住みついた。近くに村があって患者も来るから、子から孫へと医業を相続した。
 だんだんと近隣に人が移り住むようになって、かつては人気のなかった浜辺に、今では十数軒の百姓家があるそうだ。
あやしい古典文学 No.765