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『撰集抄』第五「高野山において人形を作る事」より |
西行のアンドロイド |
私 西行が、高野山の奥に住んでいたころのことだ。 月の夜には友人の西住上人と奥の院の橋の上へ行き、風情にひたって歌など詠み交わしていたが、やがて彼は『用事が出来たから』と、つれなくも私を捨てて都へ上ってしまった。 一人ぼっちになった私は、浮世を離れて花や月の情趣をともにする相手がほしいものだと、なんとなく人恋しさがつのって、思いがけず、鬼が人骨を取り集めて人を作るように、人間を造ってみようという気になった。 信頼できる人から作り方のあらましを聞いていたので、そのとおりに、野原に出て拾った骨を並べ連ねて造った。 しかしそれは、人の姿に似てはいても、見た目が悪く、まるで人間らしさがなかった。 声は出るものの、楽器を鳴らすかのようだった。実際、人はその心によって、さまざまに声を発する。ところがそいつは、ただむやみに声を出すだけだから、吹き損じの笛と同じだ。 おおかたそんなふうに出来たわけで、まったく予想外であった。 『とりあえず、この変なやつをどう始末しようか。破壊するのは人殺しに当たる気がする。心がないから草木と同じとも言えるが、姿は人間だから困る。壊せないなら、いっそのこと……』 結局 私は、そいつを高野の奥の人も通わないところまで連れて行って捨てた。もし偶然に人が見かけたら、化け物と思って恐れるだろう。 どうして失敗したのか不審でならなかったので、あるとき都に出向いた帰り道、作り方を教わった徳大寺左大臣の邸を訪ねた。 大臣は参内なさって留守のため空しく退出したが、次に伏見前中納言師仲卿のところへ行き、こちらは面会して質問することができた。 「どのように造ったのかね」 とおっしゃるので、 「そのことですよ。野原に出て、人の見ないところで死人の骨を取り集め、頭から手足まで間違えずに並べておいて、砒霜(ひそう)という薬を骨に塗り、イチゴとハコベの葉を揉み合わせた後、藤の若芽などで骨を括って、水洗いしました。頭の髪の生えるべきところには、サイカチの葉とムクゲの葉を灰に焼いて付けました。土の上に畳を敷いて骨を伏せ、風の通らないようにしつらえて十四日置いてから、その場所に行って沈(じん)と香(こう)を焼いて反魂(はんごん)の秘術を行いました」 と説明した。 「だいたいはそれでよい。だが、反魂術を行うには、まだまだ修行が足りないな。私はたまたま四条大納言公任卿の秘術を伝授されて、これまで何人も造ってきた。中には、大臣や納言に出世している者もある。誰とは明かせない。明かすと、造った者も造られた者も消滅してしまうから、口に出せないがね。それはともかく、おまえさんもかなり人造りの知識があるようだから、教えてあげよう。香は焚かないのだ。なぜなら、香には魔縁を遠ざけて聖衆(しょうじゅ)を集める徳がある。ところが聖衆は生死を深く忌むので、死んだ骨に心が生じがたい。沈と乳(にゅう)を焚くとよいぞ。それから、反魂の秘術を行う人は、七日間ものを食ってはならない。そのようにして造れば、きっとうまくいく」 卿は詳しく教えてくださったが、聞くうち私は、なんだかつまらない気がしてきて、その後、人を造ることはなかった。 人を造った話のなかに、土御門の右大臣のことがある。 この人の夢に老人が現れ、 「わが身はすべて、死人の領分のものである。持ち主の許しを得ず、どうして骨を取るのか」 と、恨みのこもった形相で問い詰めた。 右大臣は、人の造り方なども自らの日記『土右記』に書いていたが、 「もしこの日記を残しておいたら、わが子孫が人を造って、霊に害されるかもしれない。そんなことがあってはならない」 と、長年にわたる日記を焼いてしまったそうだ。 聞くも空しい話である。こういったことも、人を造ろうなどと思う者は、十分わきまえておくべきだろう。 ただし、不吉な話ばかりではない。 中国古代の賢者である伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の兄弟は、天老という鬼が潁川(えいせん)のほとりで造った人だという言い伝えもある。 |
あやしい古典文学 No.770 |
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