森春樹『蓬生譚』より

夏目猩々翁

 中津藩の夏目氏は、かつては藩の家老を務めた家柄である。
 戦国の昔、奥平中津家の祖 奥平信昌殿は、いっとき徳川家康公に叛いて武田勝頼にくみしたが、その後の情勢を見て、帰参の機会をうかがっていた。
 手づるを求めるうち、今の夏目氏の祖先が家康公の手習いの友で懇意であることを聞き、懇請して高禄で召し抱えた。そして、とりなしを頼んで帰参がかなったのである。
 この功績ゆえに、近ごろまで代々夏目氏は大禄の家臣であったが、二三代前の夏目勘解由という人物の身持ちがはなはだ悪く、不行跡を重ねて藩を追われた。
 しかし、勘解由が浪人となって江戸に在ることが、どういういきさつか公儀に知れ、奥平大膳大夫殿は御老中から、
「御家老のうちの夏目勘解由は、御当家にも由緒ある者である。さだめし相変わらず勤めておるであろうな」
と遠まわしに質された。大膳大夫殿はとりあえず、
「さようでございます」
と答えて下城し、すぐに夏目呼び返しを命じた。
 勘解由はかつての待遇に復した。もっとも、もと五千石だったのを不始末のたびに減らされて追放前は三千五百石取りであり、それに復したのである。
 以後も不首尾が重なって二千石ほどに減ぜられ、あれこれあって、今の夏目氏はわずか三百石の平藩士として勤めているそうだ。

 夏目猩猩翁は、夏目家の二男に生まれた人で、極めて気性の荒々しい老人として知られる。
 大酒大食にして暴食であり、犬猫の死んで腐爛したものでもなんでも、酒の肴にして食う。とにかく酒が好きで一度に二升三升と呑むので、みずから「猩々翁」と名乗ったそうだ。
 暴食はいくぶん知恵の足りないせいでもあって、人が、
「さすがの翁も、これを食うのは無理でしょう。とてもじゃないが食べられませんよ」
などと挑発すると、何であれ食ってしまう。
 ある人がサザエの蓋を取り出し、
「いかに翁であっても、こればかりは歯が立ちますまい」
と言ったら、
「それをくれ。食うから」
と、たちまち二三個を噛み砕いて食ったという。この六十歳に近い老人の歯の強さは驚嘆にあたいする。

 あるとき、某藩士が芋虫をひどく嫌うと聞いた猩々翁は、夜、その藩士を自宅に呼んで酒を出した。
「さて、肴を用意しよう」
 翁は立って庭に下り、垣の外から延びた芋の葉に大きな虫がいるのを取ってきて差し出した。
 相手は顔色を一変させたが、さすがに武士である。
「かたじけない」
 手を出して一口に食うと、何事もなかったように酒を酌み交わして、その夜は帰った。
 翌日の夜、某藩士は翁を自宅に招いて酒を出し、
「では肴を……」
と庭に出て、毬栗の二つ三つ付いた枝を折ってきて差し出した。
 翁は負けん気の強い上に、自分がしたことの返報でもあるから、
「いやはや、これは何よりの肴」
と押し戴いた。枝を持って食い始めると、毬が口唇を破って血まみれになったが、かまわず食い終わったという。

 こんな話はほかにも数多く聞いたが、他は略す。
「我は大平に生まれたのが口惜しい。乱世ならば、あっぱれ格段の働きをして、主君のために名を挙げようものを」
 翁は、よくこう言って嘆いているそうだ。
 たしかに、『戦国の英雄、治世の国賊』という類の人であろう。
あやしい古典文学 No.780