森春樹『蓬生談』巻之七「豊前宇佐郡御許山の坊蝮蛇を飼ひし事」より

薬草

 豊前宇佐郡の御許山は、宇佐の三女神が降臨した信仰の地で、今も多数の坊舎がある。
 そこに住む何とかいう僧は、どうしたわけか蝮(まむし)を飼い馴らし、平生自分の身辺において可愛がっていた。
 猫などを呼ぶように畳を指で叩くと、音を聞きつけて庭から膝元まで這ってくるといった具合だったが、ある夜、うっかり蝮の背を踏んでしまい、驚いた蝮が足の甲に噛みついた。
 傷口はたちまち痛み、腫れ上がった。やがて足から上のほうに広がって、ついには全身腫れて命も危うい容態となったとき、僧はいつものように蝮を枕もとに呼び寄せて、人に話すように語りかけた。
「おまえに噛まれて、見てのとおりもうすぐ死にそうだ。だが、おまえも、わしを殺そうとして噛んだのではあるまい。わしが踏んだから、思わず噛んでしまったんだろう。わしだって、踏もうと企てて踏んだのではない。誤ってのことだ。これは不運というもので、誰のせいでもなく仕方のないことだから、おまえは気にしなくてもいいんだぞ」
 蝮はこの言葉を聞くと庭に這い下りて、いずこかへ姿を消した。

 結局その日は戻ってこず、翌日になって、何かの草の葉を咥えてきた。
 蝮が葉を足の傷口に擦り付けるようにすると、その心地よさは言いようもない。まもなく傷口から水が流れ出て、全身の腫れも減り、気分がさわやかになった。
 その時、蝮は縁のほうへと這って、落ちるように地面へ下りた。僧が看病の人に、
「あいつは何処へ行くんだ。見てくれ」
と言ったが、見たときには既に、庭に落ちて死んでいた。
 思えば、一日一夜姿がなかったのは、この草を必死に探していたからなのだった。
 また、蝮の毒のまたとない薬である草こそは、蝮にとっての大毒だったにちがいない。
あやしい古典文学 No.781