『久夢日記』より

切っても切れない

 知行五千石の旗本 小出兵助殿は、はなはだ豪放で、荒くれたことを好む人である。
 今年 延宝二年の六月、土用干しをすると言って、土蔵に入れてあった具足櫃を持ち出し、浅草田町の茶屋まで運ばせた。
 茶屋で本人は緋縅(ひおどし)の鎧を着し、家来の者どもには黒糸縅(くろいとおどし)または裾濃縅(すそごおどし)色々縅(いろいろおどし)の具足を着けさせ、真剣の太刀を帯びて、吉原の揚屋へと向かった。その趣向は、道々の町で酒盛りの人々の目を大いに驚かせた。

 揚屋では、名のある侠客どもを呼び寄せて引出物をつかわすなど、随分派手な遊びをした。
 呼ばれて来た侠客は、御蔵前の鏡弥左衛門、その弟分 半鏡八右衛門、一時長兵衛、半時八右衛門、近目才三らであった。
 そうするうち、半鏡八右衛門と近目才三が、女郎との盃のやりとりがもとで口論に及び、喧嘩となった。
 周りの者があれこれ仲裁しようとしたが収まらず、両人申し合わせて近くの土手へ出て、切り結ぶ次第となった。
 
 まず、才三が八衛門に切りつけた。ところが、刀がなぜか切れない。
 今度は八右衛門が才三を切った。だが、才三は俗にいう『不死身』で、皮肉や骨が極端に頑丈な体質のため切れない。
 才三がまた八右衛門に切りかかったが、小鬢(こびん)をかすっただけで、まるで切れてない。
 しめた! と八右衛門が切ったが、やっぱり不死身だから切れない。
 ……………………
 このときの才三の脇差は、近ごろ博打のかたに手に入れたもので、見た目はよかったのだが、後に聞けば、火事で焼けたのを打ち直した鈍刀だった。そのため、八右衛門は運よく助かったのである。
 ともあれ、互いに劣らぬ荒者が刃物を振り回しながら、切っても切っても切れないため、いつまでも勝負がつかずにいるところへ、吉原をはじめ方々から人が駆けつけて、二人を引き分け、介抱した。

 翌日、小出殿は話を聞いて、
「もとはといえば、わしの昨日の物好きから起こったことだ。しかしながら、双方とも幸い存命しておるとのこと。仲直りは、わしがよろしく計らってやろう」
と言って、多額の金子を提供し、
「この喧嘩、兵助に預からせてくれ」
などと、いろいろ言葉を尽くした。
 この親切なとりなしによって、二人は喧嘩を水に流したのである。
あやしい古典文学 No.785