林義端『玉櫛笥』巻之六「遊魂為変」より

斬罪人の帰宅

 永禄年間、主家をしのぎ将軍家をも圧倒した三好氏が、政治の実権を握って悪逆非道をほしいままにしていた。
 あるとき役人に命じて、六条河原で罪人数十人を一度に処刑したが、その罪人の中に、江州野洲の弥兵衛という者がいた。

 弥兵衛は、今から斬首と決まって牢獄から引き出されるとき、大声で泣き嘆き、
「悪いことは何一つしておりません。人に濡れ衣を着せられたのです。よくよく吟味し直して、命をお助けください」
と、地にひれ伏し、はたまた地団太を踏んで叫んだ。
 これには首斬り役人も持てあまして、いっとき宥めて大人しくさせようと思い、
「なるほど、おまえの言うことはもっともだ。おれが力を貸して命を助けてやろう。刑場に着いたら、こっそり逃げるがよい。大丈夫だ」
などと騙して言った。
 弥兵衛はそれを真に受けて大いに喜び、手を合わせて役人を拝んだ。
 六条河原に着いて、いよいよ首を刎ねられる時にのぞんでも、なお『わしは助かる、生きられる』と固く信じていた。

 弥兵衛は、ひそかに人目をぬすみ、足にまかせて刑場から逃げだした。
 河原をななめに走り、五条通に出てさらに東に向かって、六波羅堂のあたりまで逃げ延びた。
 そのとき堂の傍らには、一人の乞食が、飢え衰えて息も絶え絶え、地に倒れ伏して死にかけていたが、にわかに力強く立ち上がると、立ち居振る舞いすべて常人のごとくなった。
 元気にすたすた歩きだし、鹿ケ谷を越えて大津に出た。琵琶湖を渡って野洲にいたり、弥兵衛の家の門を叩いた。
 家人が出て、
「どなたですか」
と尋ねると、
「わしだ、弥兵衛だ。見忘れたか。刑罰を受けて死ぬところを、首斬り役人の情けで助かって、こうして帰ってきた」
 そう言う言葉つきや身ごなしは、なるほど弥兵衛だが、顔や姿はむさ苦しい見知らぬ乞食だ。妻子をはじめ一家の者は、『これはどうしたことだ』と驚きあきれた。

 そのとき、ちょうど京都から帰ってきた人があったので、急ぎ様子を尋ねるに、
「弥兵衛はたしかに刑罰を受け、首を刎ねられた」
とのこと。いよいよ納得がいかず、乞食を厳しく問い咎めたところ、一家の昔の出来事から先祖や妻子の幼名まで詳細に答えて、そのあげく、
「おまえら、わしが久しく京都へ行って留守のうちに、きれいさっぱり見忘れて、怪しがるとは何事だ。それとも、家の主を追い出して、おまえらが勝手気ままに住もうというたくらみか。憎いやつらめ。許せん」
 乞食は手近の大きな棒を掴むと、手当たり次第に妻子を叩きのめした。
 家の者には手の施しようがなく、妻は恐怖のあまり断髪して尼になった。他の者もみな家を散り散りに逃げ出して、行方知れずになった。

 六条河原の処刑があった翌日、三好氏は反逆を企て、突然二条御所を襲って、将軍 足利義輝を殺害した。
 臣下の者が力を得て君主が尊い位から追われ、暗い陰が延び広がって明るい陽を消し尽くす、まさに下克上の世のありさまである。
 それゆえに前兆として、弥兵衛の遊魂の怪異も起こったものだろう。
あやしい古典文学 No.788