荻田安静『宿直草』巻三「鼠、人を食ふ事」より

人を喰う鼠

 摂津ノ国多田庄の人が、体の具合が悪くて寝ていると、大きな鼠が来て、足の裏を齧った。追い払おうとしたが逃げないので、打ち殺した。
 続いて別の鼠が来て、また喰いついた。これも殺したが、殺せど殺せどやって来て、いつまでも鼠は尽きない。
 鼠退治に、猫を多く飼ってみた。しかし、十匹や十五匹までなら猫も捕るだろうけれど、日に三十、四十、五十と出てくるから、どうにも力が及ばない。
 人が番をして守っても来る。松の板で病室を囲っても、板を噛み破って来るのだった。
 襲いくる鼠の数はしだいに増して、病人はついに喰い殺されてしまった。まったく稀有の出来事である。

 この話をある席でしたところ、別の人が、
「その人は、皮肉を侵される病気に罹っていて、それで鼠が寄ってきたんだろう。原因は鼠にあるのでなく、病気にあるんだ。昔、大阪の陣のころ、船場南の御堂の門前に、同じ病気の乞食がいた。極貧の哀れな身で病臥していたある夜、鼬ほどもある大鼠が足元に来て、ふくらはぎを思い切り喰らった。それからというもの、際限なく鼠が押し寄せた。叩き棒をこしらえて殺したが、いっこうに勢いは衰えなかった。一晩に二三十匹殺されても、なお新手が来るんた。寺の人たちも可哀想に思って、六尺やら四尺やらの松板で番屋ほどの小屋を造ってやった。でも、その板も鼠に食い抜かれた。それではと、寺の屋敷内のあちらへ、またこちらへと頻繁に場所を移してかくまったが、その甲斐なく、結局乞食は喰い殺されたんだよ」
などと語った。

 無数の鼠が押しかける様子はひどく奇怪に思われるが、こうした現象も、それなりに原因があっての結果なのだ。
 人の運命とはそういうものだ。誰の身の上にどんな思いがけない災いがふりかかるか、わかりはしない。
 いつ煙と消えるか知れない身で、わずかに今を生きながらえていると思うと、いかにも不安で物狂おしいかぎりである。
あやしい古典文学 No.789